【世代を超えて音楽を学ぶ】 子どもが大人世代と交流する意味

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 小学校の合唱部の活動を「子どもたち自身が楽しむ」形に変えていった原葉子さんは、コンクールの審査の在り方にも疑問を持ったという。同時に、子どもたちが大人世代と交流する姿を見て、オールエイジで音楽を楽しむことの意義も痛感したと話す。インタビューの2回目では、子どもたちが大人世代と交流することの意義、部活動の地域移行とオールエイジミュージックとのつながりなどについて聞いた。(全3回)

小学生が高齢者施設を訪問する姿を見て感じたこと

――コンクールの審査の在り方に悩んだとのことですが、具体的にどんなことに悩んだのでしょうか。

 言い過ぎになるといけませんが、例えば合唱や吹奏楽にははやりの作曲家の曲があります。もちろん、どれもいい曲ですが、その曲を作った作曲家に直接指導してもらえるかどうか、あるいは発表前に楽譜を入手できるつながりがあるかどうかで、状況が変わってきます。そういう背景の部分に疑問を持ってしまったんです。そんな折、夫が仕事の関係で東京に出向することになり、そのタイミングで退職しました。その後、都内の小学校であらためて講師として勤務することになりました。

――部活動以外の活動や授業はどうでしたか。

 一番印象に残っているのが、東京の繁華街近くにある小学校でのことです。1年生が近所の福祉施設へ訪問に行く際に「何か歌いたい」と言い出し、担任の先生から相談を受けて、私自身もピアノ伴奏のために同行することになったんです。

 その小学校は児童数がとても少なく、1クラス10人いないくらいでしたが、家庭に課題を抱えている子も少なくありませんでした。そんな子どもたちが、福祉施設で利用者さんと一緒に手遊びをしたり歌を歌ったりしているときの表情がとても楽しそうだったんです。その時に世代交流の力はすごいなと思ったことが、一番思い出に残っています。

 ある子は、施設のお年寄りが何かにつけて「よく頑張ってるな」と言ってくれることがうれしかったみたいで、それ以降はずっとニコニコしていました。今、非常勤で勤務している高校の生徒も保育所へ実習に行くことがあるんですが、思春期なので普段はちょっと斜に構えているような生徒も、子どもが相手になるとガラッと変わります。

音楽を愛するさまざまな人との交流がきっかけの一つだったと話す原さん
音楽を愛するさまざまな人との交流がきっかけの一つだったと話す原さん

――そうした経験が「オールエイジミュージック」につながっていくのですね。

 そうですね。もう一つは長野の小学校の合唱部での経験です。子どもたちが心を込めた合唱をしたのに、僅差で次のステージに進めなかった時、大粒の涙を流して泣いていたんです。それまで生きてきた9~10年間の中で、合唱をやってきた時間はその子たちにとってすごく大きな意味を持っているのだと痛感しました。賞の1つや2つで、人生が終わったみたいな表情をしているのを見て、私はこの子たちに何をしてあげられるのだろうと思いました。

 そんな折、軽井沢町で「国際合唱フェスティバル」が開催されることを聞きました。作曲家の松下耕先生が主催で、世界から合唱を愛する人たちが集う大きなフェスです。「競い合う合唱から認め合う合唱へ」という理念とのことで、「子どもたちが毎日、一生懸命歌っているので出られませんか?」とお願いしたら、ロビーコンサートのようなプログラムに出していただけることになりました。

 本番では、聴衆の皆さんの雰囲気がコンクールと全く違っていて、盛大な拍手をもらいました。「良かったよ」とか「歌っていいよね」とか言ってくださるのを聞いて、「ああ、やっぱりこういう方がいいよな」と思った経験も大きかったですね。

ママさんコーラスに子どもや孫が参加

――そこから、オールエイジで音楽と触れ合う場を学校外でつくる活動へと、どのようにつながっていったのでしょうか。

 最初のきっかけは、「ママさんコーラス」でした。私の実家が東京の多摩市にあるのですが、私の母のママ友世代がコーラスの活動をしていたんです。私はそこで、大学時代から指揮をさせてもらうようになっていました。そして、私自身に子どもが生まれた後は、そのコーラスにも子どもを連れて行くようになっていました。

伊那市高遠町の音楽祭は、そもそもオールエイジだったという
伊那市高遠町の音楽祭は、そもそもオールエイジだったという

 すると、メンバーの皆さんもお孫さんを連れてくるようになって、演奏会も大人が歌う曲、子どもが歌う曲、みんなで歌う曲といった形で、自然発生的にプログラムが組まれるようになりました。大人も子どもも同じサークルの仲間として活動するという例は珍しかったので、「これは何かできるかも」と感じました。そこで、自宅のある長野県伊那市で地域の誰もが参加できる「みんなで音楽隊」を立ち上げました。

――合唱のイベントで、小さな子どもから大人までが一緒に歌うことは、確かにほとんどないですよね。

 そうなんです。伊那市高遠町は東京藝術大学の初代校長を務めた伊澤修二先生が生まれた町ということもあり、「伊澤修二記念音楽祭」というイベントを毎年開催しています。そこでは高校生と地域の大人の合唱団が、藝大生のオーケストラをバックに歌うプログラムをずっとやっているんです。

 ですので、高校生には大人と合唱するのは当たり前といった雰囲気があります。「伊澤修二記念音楽祭」はそれこそ行事自体がオールエイジで、小学生が発表した後に中学生や高校生、藝大生が発表して、最後に市民合唱団が歌うという構成になっています。

――そういう背景があることで、やりやすさがあったのですね。

当初は地域の文化度の高さが壁になったと振り返る
当初は地域の文化度の高さが壁になったと振り返る

 そうですね。一方で私が壁だと感じたのは、クラシックが好きな方が多いことです。歌声喫茶を始めたとき、私はどの世代でも歌えるようにと、最初は童謡唱歌などを取り上げていました。でも、たまたま行った温泉施設で、地域の方とお話する機会があったのですが、「あの歌声喫茶、子ども向けだから…」みたいに言われてしまって…。文化意識が高いからこそ「オールエイジ」が伝わりづらくて、その点が最初の頃はネックになりました。

 それでも音楽祭やイベントに出続けているうちに、「こういうの、やっぱりいいわね」と知らない方が声を掛けてくれたり、「いろいろな年齢の人が一緒にやるって、本当に大切ですよね」と言ってくれたりする人が増えている実感はあります。

部活動の地域移行とのつながり

――今、部活動の地域移行が段階的に進められていています。それを踏まえて、自身の活動と何か結び付けられることはありますか。

 実は今年度から、伊那市立長谷中学校の音楽部に、部活動指導員として関わらせていただいています。指導は、私自身の音楽活動とリンクしても構わないということでした。というのも、この中学校は小規模校で、社会福祉協議会が全国で実施している「まちの縁側」に学校自体が登録しているんです。

 そのため、中学生は普段から地域の方と一緒に太鼓の保存や農作業などの活動をしています。また、地域に小学校や保育所も1つしかなく、中学校の教員が小学校と兼務するなど、もともと地域的にオールエイジなところなんです。部活動の指導の話も、実は「『まちの縁側』で音楽をやっている人がいるらしい」という話を聞き付けた社会福祉協議会の方からの依頼だったんです。

 長谷中学校では例年、小学校と一緒に地域の方を呼んで学校の敷地内でコンサートを開催しているとのことで、今年度も5月に行われました。秋に企画しているオールエイジの演奏会にも長谷中の生徒が参加予定で、大人との合同合唱をはじめ活動が広がりそうです。

【プロフィール】

原葉子(はら・ようこ) 信州大学教育学部(芸術専攻)で声楽を学んだ後、長野県内の公立小学校で教員を務める。現在、信州豊南短期大学幼児教育学科非常勤講師、長野県高遠高校音楽科非常勤講師、伊那市立長谷中学校音楽部地域指導員、伊那緑ヶ丘・敬愛幼稚園メロディタイム講師、三義音楽教室主宰などを務める。その他に、合唱団「リーフの会」(東京都多摩市)、「山すそコーラス」(長野県高遠町)、「みんなで音楽隊」(合唱・合奏)など、東京や長野で活動している。

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