2018年7月、パラオで一番大きな公立小学校に派遣された。全校児童は800人ほど。パラオでは小学校で8年間学び、その後は高校へと進学する。パラオの公立学校で体育科教育が始まったのは07年ごろで、専科の教員が指導することが多い。新設された教科なので、教育省が行ってほしい体育の授業と現場で行われている授業に大きな乖離(かいり)があるのが実情だ。
私が初めて見たパラオの体育の授業では、始まると授業を担当している先生が1年生にボール1個とバット1本を渡して、「野球の試合をするよ」と言う。子供たちはボールを投げたりキャッチするなどといった、野球においての基本的な技能もルールすらも知らないまま試合が始まるので、できる子だけが試合をし、そうでない子は周りで座っているか追い掛けっこが始まったりしている状態であった。子供たちも体育の先生に対して「今日は何して”遊ぶ”?」と尋ねる。
対して教育省の開催する研修会では、「楽しみながら基本的な技能を身に付けること」「年齢に応じた運動経験をさせること」「体育は子供たちが考え学ぶ授業であること」が話されていた。教育省の思惑とは逆に、体育が遊び・息抜きの時間になっている現状に対して、どう働き掛けていくかが私の仕事だ。
私の勤めるコロール小学校では午前7時半に朝礼が始まる。パラオの学校では毎朝、国歌を歌う。平均気温は28度ほどの常夏の島国だが、朝はまだ暑くない。そよそよとした風と鮮やかな芝生にスコーンと抜けたような青空。その青空に似た空色の制服と子供たちの歌声。いい時間だなと思う。
1・2時間目はみんな、クラスで授業をしている。パラオの公立小では英語、パラオ語、算数、理科、社会(パラオの歴史)、健康、体育を学習する。午前は5時間、午後は2時間の7時間。体育の授業は週1時間。各学年の先生と相談し、何曜日の何時間目に授業を行うかを決定する。
3時間目から体育の授業が始まる。私が担当したのは1年生から4年生までの計16クラス。月曜から木曜日の午前中3コマ、午後に1コマだ。紫外線が日本の7倍と言われる日差しの下、突然のスコールも頻繁に起きる気候の中で体育を行う。地面は芝生だが平らなところはない。体育館と呼ばれている屋根付きのバスケットコートの床はコンクリートだ。
初めの頃、子供たちは「野球をしようよ!」「バスケットボールがいい!」と好き勝手を言い、準備されている用具を触ったり追い掛けっこしたりするだけで、整列して準備運動をするのに30分もかかった。しかし、それぞれに活躍のチャンスがあることや、「考えて取り組むと成功する」ということ、何より自分の体を使って運動すると楽しいということを、手を変え品を変え伝え続けていくと、半年もすると自分たちで「この前はこんなことをやったよ」と学んだことを休み時間に見せてくれたり、「みんなみたいに上手になりたい」と話してくれたりする子がでてきた。
当初は個人で取り組む運動(障害物競走やダンスなど)が精いっぱいだったが、チームでの運動(パスを繰り返して相手をかわすこと、友達と協力して課題をやり遂げること)ができるようになってきたのだ。やっと体育らしくなってきたな、と感じた。
70分の昼休みを挟み、午後の授業が終わったら、1日分の成績付けが始まる。パラオは4期制で、各学期の最後の週にテスト週間があり、そのテストで成績が決まる。しかし体育はテストがないので、毎回の授業ごとに成績を付け、その総合点を学期の成績として担任の先生に提示する必要がある。なので、誰が出席していたのか、どんな行動をしていたのかを観察しておかなくてはいけない。
パラオは60点未満で留年になり、成績優秀者は表彰される。教育省の担当者からは「うちの子の方があの子よりも足が速いのに、なんで成績が下なんだ」とクレームが来たことがあると聞いた。足の速さだけじゃ決まらないのは日本と同じなのだが、そこを説明できなかったり、クレームを嫌がったりする先生は全ての子供に満点を付けてしまうのだそうだ。
さらに、体育は「遊びの時間」と認識されていたこともあり、宿題をやってこなかった子や授業態度の悪い子は体育の授業に参加させてもらえなかったり、テスト前で他の教科をやりたいから体育をキャンセルしてほしいと言われたりすることも何度もあった。体育科に関する理解を深めてもらうために、担任の先生に授業を見に来てもらったり、体育の授業で何を身に付けていくのか、どんな学びがあるのかを知ってもらうための研修会を開いたりした。
しかし担任の先生が「体育で学びを得ている」と感じたのは、「こんなことできるようになったよ」「先生にこんなふうに褒めてもらった」と報告する子供たちの姿を見た時だそうだ。子供の姿が先生の意識を動かし、子供たちと一緒に体育の授業に参加してくれた先生もいた。体育に存在意義が生まれたと感じた瞬間だった。