中高一貫校の教員を約7年間務めた後、経産省の教育産業室長に就任した五十棲浩二さん。同省から教育改革に挑む立場として、学校現場の現状と課題をどう捉えているのか。インタビューの2回目では、現状の学校教育にどのような改革が必要なのか、同省が進める教育DXとのつながりも含め聞いた。(全3回)
――学校教育の現状をどのように見ていますか。
現場の先生方の努力は大変なもので、日本社会を支える基盤となっているのが学校であると感じています。学校は子どもが集まっていろいろなことを実現する場所であり、とても力のある、エネルギーに満ちたところだと思っています。
一方で、課題もたくさんあります。教員の成り手不足や不登校の増加、地方では学校の小規模化も進んでいます。生徒の抱える状況や特性、関心も多様化しており、学校や教員の努力だけで対応していくのが難しい状況になっています。
――学校の小規模化については、どのような課題意識を持っていますか。
例えば、ある地域に高校が1校しかなければ、大学進学を希望する生徒も就職する生徒もそこに集まってきます。ところが規模が小さいので配置される教員数も少なくなります。そうした状況では、学校に配属された教員だけで、多様な学びのニーズに対応するのが現実的に難しい状況があります。
――小規模化による難しさがある中で、全国的に教員不足もあり、現場は苦しんでいますね。
教員の成り手不足は深刻な課題で、国や自治体が教員の待遇改善のためのさまざまな方策を検討しています。一方、待遇改善は極めて大事なことですが、日本全体の労働人口自体が減っていて、いろいろな業界が「人材が足りない」と訴えている中で、教員の数を劇的に増やすことは難しいという現実から目を背けるべきではないでしょう。
では、どうすればよいのか。私が例え話として言っているのは「幕の内弁当からビュッフェ的な学び」への転換です。
――具体的に、どういうことでしょうか。
幕の内弁当は、いわゆる「全部盛り」です。一つのパッケージの中に、多くの人が満足するであろうおかずを多種類そろえる形で作られています。現在の学校は、教育に求められる、あらゆる機能を学校ごとに全て持とうとしているという意味でこれに似ているように思います。全ての人が満足できるように、あらゆる機能を全部盛り込もうとする。でも、全員に同じ「幕の内弁当」が配られると、全員がちょっとずつ不満を持つわけです。
ある人は「量が多過ぎる」と言い、ある人は「少な過ぎる」と言う。またある人は「ダイエット中なのに揚げ物が入っていて困る」「アレルギーがあって食べられないものがある」といった感じです。極端な場合は「お弁当は食べません。僕はハンバーガー屋さんに行きます」と言い出す子どもも出てくるでしょう。いわゆる不登校です。
何とか満足度を上げるために幕の内弁当の質を上げようと、ご飯やおかずの味を向上させようとしても、食材の質やかけられる手間には限界があります。
一方、最近は宿泊施設などでビュッフェ形式に転換するところが増えています。これは「もともと好みは人によって違う」ことを前提にしています。たくさん食べたい人もいれば少しだけ食べたい人、糖質を減らしたい人もいる中で、料理を食べる側が選べるようにするわけです。
今の学校は幕の内弁当のように、一つ一つの授業をしっかりと作り込んで、全員に満足してもらおうとして逆に疲れ切っているように見えます。現場の先生方の努力には頭が下がりますが、やり方を変えていくことが必要かもしれません。
――ビュッフェの場合は「それぞれ違う」ことが前提で、供給する側も無理をしないことを考えるのですね。
その通りです。学校では、探究的な学びや個別最適化された学びを取り入れようといった動きや、発達障害傾向のある子どもや不登校の子どもへのケアなどが行われていますが、これらの努力を全て校内の教員だけで行うのではなく、外に頼る部分も増やしていくことが必要でしょう。
分かりやすいのは、先述した小規模化した高校です。大学に進学する生徒が数人しかいない中で、大学受験対策に重点を置いた授業を行うのは現実的に難しい。生徒が受験する科目が異なればなおさらです。そうした場合は、オンラインで外部に頼ることが合理的です。
高校の中には小規模化が進む中で、特色を出すことに苦労している学校もあります。一方、同じ県内でも数十校の公立高校があり、見渡せば素晴らしい実践をしている先生方が数多くいます。例えば、これら県立高校同士でネットワークをつくることで、ある県立高校に入学すれば、他の県立高校の特色ある授業も履修できたり、長期休みには学校は違うけれども関心を共有できる仲間同士で一緒に活動ができたりするような仕組みなどは考えられないでしょうか。
高校卒業に必要な74単位のうち、例えば10単位はオンラインで他校の授業を受けて卒業単位に組み込むといったことは、実は文科省の制度上でも認められています。ただし、オンラインでの授業履修で認められているのは、遠隔地で行われる授業にリアルタイムで参加する場合のみです。高校同士で授業を共有するといっても、時間割を全てそろえることは現実的には困難で、リアルタイムでの受講のみでは実現できません。オンデマンドでの履修も認めるといった改革も必要でしょう。少ないリソースの中で各学校が単体で何とかしようとするより、複数の高校のネットワークを使うといった発想で考えると、新たな価値を生み出せる可能性があるでしょう。
探究学習も同じで、規模が小さい学校では、同じようなテーマで探究する仲間を見つけるのが大変です。例えば、学年に数百人いる学校では「宇宙が好き」という生徒を複数見つけることは可能ですが、数十人規模の学校では難しかったりします。このような場合に、オンラインも活用して複数の学校をつなぎ、分かりあう世界を共有できる仲間と出会うということは、とても有意義だと思うのです。
その意味で、部活動にしても探究学習にしても、学校をまたいでオンラインで行いつつ、夏休みなど長期休みに対面で集まって顔を合わせるようなやり方もあってよいのではないでしょうか。私自身も、他校の生徒と一緒に何かをやったとき、生徒が大きく成長する姿を幾度となく見てきました。授業や行事では冷めているような生徒が、他校の生徒と一緒に活動することで大きく成長するようなこともあります。大人が何かアドバイスする以上に、生徒同士が刺激し合う環境をつくっていく方が、効果があることが多いのではないでしょうか。
不登校のケアについても同様のことが言えます。不登校の数は全国では数十万にも上りますが、各学校単位で見れば数としては必ずしも多くないので、専門性の高いスタッフを各校に配置できるかというと、現実的には難しい。もちろん、オンラインで同様のケアができるわけではありませんが、一つのプラットフォームで全国をカバーできれば、「こういう子にはこうしてあげた方がいい」といった知見が蓄積され、より専門的なアドバイスができるようになるのではないでしょうか。
これまでの教育の仕組みは、基礎自治体が学校設置者で、教育委員会の下に各学校があり、学校ごとに独立して地域の子どもたちの全てのニーズに応えるという、「縦割り」の考え方が強くありました。予算や教員の配置も全て「縦」を基本にしています。今後は、児童生徒が集まる学校という場が果たす機能の重要度は前提とした上で、各学校が持つ機能のうち共通するものについて、「学校間でシェアをする」「自治体間でシェアをする」といった「横」の機能が重要になっていくのではないでしょうか。
そして、この「横」の機能を実現するにはデジタル・オンラインの活用が重要になってきますし、民間サービスをうまく活用することも求められます。また、評価の方法などについても考えていく必要があるでしょう。このような変革が、教育におけるDXの形ではないかと考えています。
【プロフィール】
五十棲浩二(いそずみ・こうじ) 東京大学法学部を卒業後、2001年に経産省に入省。14年から約7年間、横浜市の聖光学院中学校・高校に勤務。特別教員免許を取得して英語や現代社会の授業をしたほか、国際教育の推進やSSH認定に向けた企画の立ち上げなどを担当した。22年7月から同省商務・サービスグループサービス政策課教育産業室長。