居心地の良い学び場の秘密 フィンランド新校舎移転ルポ

居心地の良い学び場の秘密 フィンランド新校舎移転ルポ
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引っ越し作業に、正規の先生は関わらない

 私が勤めるヘルシンキ国際高校はこの夏休みに、学校の歴史における大きな転換点を迎えた。新校舎への移転だ。6年前に新校舎移転計画がスタートして、待ちに待った瞬間が訪れた。今回は、夏休みに行われた引っ越し作業について、また私自身がいち早く見た、開校準備中の学校内部についてお話ししたい。

 夏休みの始まりを告げる6月、生徒や先生がいない学校で、私は毎日、引っ越し作業を行っていた。電子機器や大量の本の処分、新校舎へ運ぶ荷物の選別など忙しい時間を過ごしていた。この引っ越し作業を行うのは、正規の教員ではない立場で学校に関わっている、いわばサポート役のメンバーだ。ソマリアやアルジェリアに背景を持つ人々で、毎日彼らと一緒に引っ越し作業に汗を流した。学校の近くでバレエのレッスンを受けていた子どもたちも飛び入り参加で手伝ってくれ、つかの間の癒やしの時間が訪れることもあった。

 正規の先生たちは、基本的に夏休みに入ると学校に来ることはない。たとえ学校の引っ越し作業があったとしても、夏休みは休暇としてしっかり休む。サマーコテージに家族と出掛けたり、同僚と一緒にカヌーやハイキングを楽しんだり、海外旅行に出掛けたりする。

 この期間に毎日学校に来ていたのは、管理職と事務の先生だ。教科の打ち合わせや自分の荷物の整理を行うために数人の先生がたまに来ていたが、引っ越し作業に加わることはない。仕事における役割が明確であり、休暇は守られるものであるということを、身をもって感じた。

学びやすいところで学ぶことができる仕掛け

 さて、ここからは皆さんを新校舎へとお連れしていこう。まだ新年度が始まっておらず、新校舎には工事関係者もたくさんいる、8月からの本格スタートに向けたラストスパートのタイミングだ。この日は、副校長先生に学校案内のアテンドをしてもらった。

 ちなみに、フィンランドでは学校視察に対して視察料が設定されていることが一般的だ。その理由は、決してお金もうけという意味合いではなく、視察者に対してアテンドを行う場合に、先生方の本来行う仕事に費やす時間が奪われることへの対価としての意味合いや、視察をサポートする代わりの人を雇うために費用が発生するから、という視点がある。教育視察に費用が発生することは、日本ではまだそこまでなじみが深いものではないが、教員の仕事へのリスペクトという点で、非常に参考になる。

 入口を抜けると、階段状になっているホールが広がっている。ここで子どもたちがリラックスして過ごしたり、仲間と学習したり、さまざまな使い方がなされることが期待されている。

 ここでは、日本の高校のように毎朝ホームルームがあるわけではなく、生徒は登校したら自分が授業を受ける教室に向かう。火曜日の昼に諸連絡や配布物のために、クラス(コース)別に集まる機会があるが、クラス単位で動くことはそれくらいで、ほとんど個人で行動する。教科ごとに教室が決まっていて、毎時間、生徒が移動してくる。

 教室のサイズも一律ではなく、絨毯(じゅうたん)の色やホワイトボード、置かれる机や椅子もそれぞれの教室によって異なっている。教室内にカーテンで区切られるスペースもあり、ここではペアワークを行ったり、抜き出しでテストを行ったりするときに使うことが期待されている。

 学びの場所は教室や屋内に限らない。太陽の光を浴び、美しい景色を眺めながら学ぶことができるようにテラスも学びの環境として大きな役割を果たす。冬の間は寒過ぎて、テラスで勉強どころではないが。

 廊下にも机や椅子が置かれていて、そこで学習することも可能だ。自分の学びやすいところで学ぶことができる仕掛けがなされている。教室以外でも学ぶことはできるが、実際のところ、仲間と学ぶ際の声の大きさなどが、他教室に対して迷惑になってしまうという問題も発生しているということは確かだ。

 この点については教員たちも頭を抱えているのが実際のところだ。私自身は子どもたちと関わるとき、「あなたは、他者にとって学びの環境の一部。その意識を持つことが大切であり、それこそが他者の学びに対するリスペクトだ」と伝えている。

同僚性を高めるための職員室

 新校舎において、先生方が楽しみにしているのが職員室だ。とにかく広く、リラックスして過ごす部屋、集中して仕事に向かう部屋、パソコンが常設されている部屋、ディスカッションを行うときに使う部屋などが設置されている。それぞれの部屋が明確な意味を持っていることが、高い生産性につながっているようだ。

 旧校舎では、休み時間はコーヒーを飲みながら談笑する様子が日常的に見られていた。この光景は新校舎においても変わらないはずだ。職員室は仕事をする場所でもあるが、それ以上にむしろ、同僚性を高めることに一役も二役も買っていると捉えてほしい。以前の記事(電子版4月22日付『先生を幸せにする フィンランドの「電話の鳴らない職員室」』)で、職員室に固定電話が置かれていないことを紹介したが、新校舎においても電話が置かれる予定はない。

 広大な体育館は、大きなステージも備えている。ここでご紹介したいのは、更衣室だ。生徒の更衣室は男女で分かれているのだが、教員の更衣室の前にはジェンダーレスのマークが記されている。男女の教員が同時に着替えることはおそらくないが、同じ場所を共用するという意味合いで記されているのであろう。ちなみにトイレも男女分かれているものと、ジェンダーレスのものが両方設置されている。

 屋上は、筋トレスペースや卓球エリア、大きなチェスやベンチが置かれている。今にも子どもたちの楽しい声が聞こえてきそうだ。

階段や壁、窓に描かれたアート

 最後にご紹介したいのが、「アートの視点」だ。以前フィンランドの別の学校を視察した際に聞いたのだが、フィンランドでは地域により、新しい校舎などを造るときには予算の一部をアートに充てなければならないところがある。その学校にはフィンランドのブランド「マリメッコ」のデザイナーが描いた絵が、壁にたくさん描かれていた。

 その時は半信半疑で聞いていたのだが、新校舎が完成し、内覧した際にアートの視点が散りばめられているのを目の当たりにした。階段や壁、窓に、本当にアートが描かれている。アテンドしてくださった副校長に、なぜアートの視点が取り入れられているのか聞いたところ、「なぜかは分からないけど、さまざまな色が使われているね」と笑って返答してくれた。「アートに予算を充てるなら、他の設備を充実させた方が現実的でよいのではないか」という声が聞こえてきそうだが、ここにあえてアートの視点を入れるところに、フィンランドの豊かさのヒントが隠されているのではないかと感じている。

 これまで紹介した校舎の様子で、日本の校舎のつくりに共通している部分や、違っている部分を感じていただけたのではないだろうか。気を付けなければならないのが、フィンランドで取り入れられているからといって、それが全て正解ではなく、何も考えることなく日本に取り入れることは、本当に避けなくてはならないということだ。それが設置されたことに対する「なぜ?」に着目することや、そもそもの意図や狙い、背景について考える必要がある。思考停止するのではなく、自分たちの現状に合った、より良い学習環境や学校環境を考えていくことが大切だと伝えたい。

 同時に、アートの視点に代表されるような「なぜなのか、本当のところはよく分からない」という余裕や、心の余白もまた大切だったりするのではないか。これらの絶妙なバランスが、フィンランドの教育現場としての在り方に、魅力を感じる点であることは間違いない。

【プロフィール】

徳留宏紀(とくどめ・ひろき) Nordic Educations代表、教育コンサルタント。フィンランド・ヘルシンキ在住。ヘルシンキ国際高校勤務。元公立中学校教諭。学力向上コーディネーターとして、教科学習を通じて非認知能力・認知能力の向上を実現。また現在は岡山大学大学院にて非認知能力の研究に従事。「教員の心理的安全性を高める組織マネジメント」で、2019年度日教弘大阪支部最優秀賞受賞。幼稚園から大学までの教育現場、保護者、企業を対象に、非認知能力に関する講演会も行っている。

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