「発達障害の子が8.8%」ではない 前提の問い直しを(木村泰子)

「発達障害の子が8.8%」ではない 前提の問い直しを(木村泰子)
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 今回は「私が言わなければ誰が言う」という思いでお伝えする。冬季休業というこの機会を生かし、ぜひ私が提起する問題について考えてほしい。

社会の崩壊が始まる

 文科省が「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」の結果を明らかにし、「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒は、小中学校で8.8%」と発表したことは、本紙電子版12月13日付でも報じたとおりだ。

 この調査結果を目にした一般の方々はどう感じただろうか。「学校の先生はこれだけ発達障害の子を抱えているんだ」「うちの子は発達障害なのではないか。迷惑だと思われているのではないか」などと思ったのだろうか。そう捉えた人が多数だとしたら、この調査は日本社会を崩壊させるきっかけになってしまうと受け止めている。

 この調査結果から何かを論じる前に、子どもの育成に関わる読者には、次の2つをぜひ問い直してみてほしい。

 「この調査でいう『発達障害』の子とは、どんな子どものことか」

 「今回の調査は新学習指導要領に即しているか」

「発達障害」「不登校」のレッテル

 大空小学校で校長を務めていた9年の間に、全国から50人以上の子どもが家族の引っ越しを伴って転学してきた。いずれも「発達障害」というくくりの中にはめ込まれて、「不登校」というレッテルを貼られた上でのことだ。背景には、専門家の「ADHDの子にはこういう指導をしたらいい」「これが合理的配慮だ」などという助言に基づいた指導をされ、心を病んで苦しみ、登校できなくなるという経緯があった。

 これは、「発達障害」というくくりに子どもを仕分け、「こういう障害の子にはこの指導法を」という、いわば「スーツケース」に入れるかのような対処法をしてきた結果だ。教員もまた、文科省などから「発達障害について知見を深め、知識を身に付けよ」と指導され、「教員の専門性が低いと、子どもが暴れたり不登校になったりする」といった強迫観念を植え付けられて、「発達障害の子にはこの対応をしなければ」と懸命に働き掛けたのだろう。

 その子たちは転学後、当たり前に大空小に通い、卒業していった。私が学んだのは、発達障害の専門的見地からではなく、自分が接した子どもたちの事実からだ。そしてそれらの実際に目にした事実を私は信じている。

時代に逆行する調査

 今回の調査で子どもを「発達障害の可能性がある」と分類する元になった、学級担任らの回答項目をいくつか取り上げてみよう。学習面では「話し合いの流れが理解できない」「まっすぐ字を書けない」、行動面では「教室で座っていられない」「周りが困惑するようなことも配慮しないで言ってしまう」。回答結果を見るのを踏みとどまって、よく考えてほしい。

 まず「話し合いの流れが理解できない」。これを発達障害と仕分ける前に、「どんな流れで話し合いを進めたのか」「話し合いの材料に何を提示したのか」といった、教員の関わり方や準備状況を問題にするのが先ではないか。

 「まっすぐ字を書けない」。まっすぐ書けなかったら、10年先の社会をつくる大人になれないのか。iPadなど電子機器で十分に補えるという考えから、多様な学びの重要性が広まったのではなかったのか。

 「教室で座っていられない」。座っていなければならない理由は何か。大空小では、座っていられない子は教室内で立ったり歩き回ったりしながら学びを進めていた。ずっと座り続けていなければ、10年後に生きて働く学力は身に付かないのか。

 これでは70年前の戦後の教育と何一つ変わっていないと言わざるを得ない。「大人の言うことを聞けない子どもが悪い」「皆ができることをできない子どもには障害がある」「椅子に座って先生のお話を聞くのが学校の当たり前だ」。こうした思い込みによる指導への反省から、新たな教育へのかじを切ったのではなかったのか。

 そして「周りが困惑するようなことも配慮しないで言ってしまう」。言った子に問題があるのか、周りがその子の言うことを受け止められるように育っていないのか。誰しもでこぼこがあると互いに認め合う多様性の社会を目指す現代で、「他の人の迷惑になることを言う」という点にいつまでこだわり続けるのか。

 いずれも、新学習指導要領が示し、今の日本が向かおうとしている「子どもを主語にした学び」とは真逆を行く考え方だ。こういった質問を現場教員に突き付けたことは、非常に残念なことだと思う。

 発達障害の子を巡る今回の調査については、重ねて問題提起していきたい内容がまだまだある。例えば、専門家らは今回の調査結果から「教員らの特別支援教育に関する理解が進み、今まで見過ごされてきた困難のある子どもにより目を向けるようになった」という見解を示している。私は強く異議を唱えたい。その根拠などについては、来月の「オピニオン」欄で述べていく。

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