部活動の地域移行問題 「学校か地域かという議論は不毛」

部活動の地域移行問題 「学校か地域かという議論は不毛」
神谷会長
【協賛企画】
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 2023年度から段階的に学校から地域へ委ねられることになる公立中学校の部活動に、かつてないほどの国民的な関心が集まっている。スポーツ庁、文化庁では3年間を改革推進期間としているが、現場の各自治体では地域移行の環境整備についての不安を隠さない。これまでの日本における部活動の位置付けや今後の課題について、日本部活動学会会長の神谷拓・関西大学人間健康学部教授に聞いた。

地域は戸惑っている

――2023年4月からいよいよ部活動の地域移行が始まりますが、提言を受けた後の自治体の準備状況や困っているポイントはどこでしょうか?

 着々と準備を進めている自治体もある一方で、対応に困っている自治体もあり、他の自治体がどう動くのかを静観している自治体もありという、3パターンではないかと思います。地域にある程度の組織があり、インフラも進んでいるところは他の地域のモデルケースとなるべく前向きに取り組んでいますが、私のもとには地域移行でどうなるのかといったような問い合わせが多く寄せられているのが実情です。お金の問題も大きく、スポーツ庁、文化庁が本当にどれぐらい地域移行にあたってサポートしてくれるのかを気にしているところが多いように思います。

 お金の問題がはっきりしないのに、23年度から改革を進めようとしているそのスピード感に多くの自治体は戸惑っています。地域移行の改革を進めろという割にはお金の面も含めその見通しを示せないのに、せき立てられているという感じを持っているのではないでしょうか。

――地域移行の問題点とは。

 この地域移行というのは1970年代に教師の長時間勤務の問題が浮上し、給特法が議論されたときにも考えられたことがありました。そのときも何が分かったかというと、地域に施設がない、指導者がいないということでした。この話というのは今回も同じではありませんか? 当時も今も地域に部活動を移行しろという割には、受け皿となるクラブや施設が整っていない。

 例えばドイツでも英国でも、地域のさまざまな文化、スポーツのクラブには必ず施設があるというのが大前提です。それだけ長い時間をかけてお金をかけてきているのです。それに対して日本はこれまで地域のクラブに対してお金をかけてこなかったので、基本的な問題の構造というのは今も変わっていません。これはかつてもそうですが、部活動の地域移行の議論が、教師に手当が払えないというコストカットの論理から始まっているので、新たに地域に施設を作るようなコストをかける議論はなかなかやりにくいというところが実情ですね。

日本で地域のクラブが根付かなかったわけ

――部活動には長い歴史があります。海外のクラブと比較して、その特徴は?

 諸外国はまず地域にクラブがあって、それが次第に学校での活動にも移行していくという流れがあるのですけど、日本では近代スポーツに関して言えば明治ごろにまず今の東京大学をはじめとした高等教育機関に〝輸入〟されました。つまりエリート教育の一環として行われていくということで、それが他の大学にも広がっていって、全国に拡大してそれが地域に広がっていくということで、諸外国とは逆のベクトルです。このように学校を基盤にしてスポーツ振興を図ってきたというのが、日本のレガシーというか、スポーツの振興の仕方でした。簡単に言えばスポーツができるような受け皿が日本には学校しかなかったわけです。

 まだ当時の日本ではスポーツというのは市民権を得ていませんから、エリート階級の余暇活動としてのスポーツという位置付けでした。これは例えば日照時間が短い国の場合だと、外に出て運動するというのは、ある意味、生存権に関わることで、スポーツをすることが生きることと密接に関わっています。

――なぜ日本では地域のクラブが根付いてこなかったのでしょう。

 受け皿としての学校に依存して行わざるを得なかったということだと思います。諸外国は元々、そういうスポーツに限らず何か目的を持った集団を作ったり、クラブを作ったりということが日常的にあったわけです。例えば喫茶店でのおしゃべりの中から集団が立ち上がって、政治のクラブになっていきました。日本の場合も、「一揆」の集団であるとか、「座」の集まりといったものがありましたが、日常的な活動にまで広がって成熟しなかったと考えられています。海外ではクラブや結社というのは社会や文化の自由や権利を実現する組織だったのです。日本は集団を作るけれども、そういうふうに社会とか文化にコミットするところまではいかなかった。地域の組織的活動がなかったというわけではないけれども、諸外国のように根付かなかったというところは、見ておく必要があると思います。

 その背景には日本では諸外国のように自分たちで革命なり、あるいは行動を起こして社会を変えたり、歴史を作ったりという経験が少なかったことがあると考えられます。諸外国が「自治」と言ったときには、自分たちで何か治めるというように使うのですけど、日本の場合は「自ら治まる」という意味合いが強いのではないか。誰か親方がいて、偉い人がいて、そのもとに治まっていくような環境が影響しているのではないか。クラブというのは自分たちで作りだすものなのです。

学校の部活動は残すべき

――最近の部活動では指導者の行き過ぎた指導というのが目立ちます。

 何が部活動を行き過ぎさせているのか、過熱させているのかを考えることが大切です。大きな原因は対外試合の問題ではないかと思っています。もともと部活動は近隣校と試合をする程度であったのに、どんどん肥大化し全国大会まで開かれるようになりました。その結果が例えば進学の際の評価にもつながるようになってしまい、本来のスポーツの目的から離れていってしまいました。教員はいい成績を収めたいと考えるでしょうし、保護者からみれば進学の役に立つのならばもっと部活動をやってほしいというニーズが大きくなっていった。

 ですから、そういった側面を是正していくのが、本来の部活動改革だと思います。先生が忙しい、少子化で今までの部活動を維持できないというのであれば、現状の部活動でできないような種目は生徒たちで工夫してやっていけるような力を、学校で付けさせていくというやり方もあります。教員は子供たちを課題解決に導く専門家なのですから。もちろん指導が勤務時間外に及んだ時には、そういう指導に関しては、手当を払うというのが正常だろうと思います。

――学校の部活動はこれからも残すべきでしょうか。

 残すべきです。今の学校か地域かという議論は不毛で何も生まないと思っています。学校と地域で連携して子供を育んでいく、そういう場を保障していくということが大切ではないかと思います。国が今、学校教育の中で主体的・対話的で深い学びを進めていますよね。日常生活のそれぞれの場面で課題解決する力を付けられるのが部活動の一つの役割といえるので、地域移行によってせっかくのその機会を奪ってどうするのでしょう。部活動を学校から離すべきではありません。

 今の入試制度を見ても、競技成績だけではなくて、部活動でどのような課題に取り組んだのかということを内申書にも書きますし、学業のほかにどのような経験をしてきたのかを評価する方向になってきています。今の教育界のニーズがそういう課題解決や日常生活においてどういう行動をするのかというところにあるならば、それを的確に実施する部活動のような場面を持っておくということは大切ですし、学校から外すというのは現実的ではありません。

――学校と地域の両輪でやっていけば、もっと日本のスポーツ環境はよくなるのでしょうか。

 両輪でないと成立しないというのが正直なところだと思います。地域でクラブや施設を作ってきた国というのは、別に学校でなくても活動は成立します。日本はそのような環境になくて施設、インフラ、指導者の全てが学校に集中しています。ですから学校と地域が連携しないと、そもそも子供のスポーツ文化活動は保障できない。そういう前提に立つ必要があると思います。ただ、当初示された地域移行に関する検討会議の提言では、そういう姿勢が弱くて、働き方改革は待ったなしだから地域移行するという印象でしたが、先日示されたガイドラインでは、学校部活動としてやる場合にはこういうことを注意しましょう、地域のクラブ活動のときにはこうしましょうという具合に、少しトーンダウンしているような印象もうかがえます。

 東日本大震災で地域復興の要になった場は学校でした。学校というのは、まずは子供たちの居場所であるのですが、地域住民が集まる場でもあります。そのような前提に立って、施設を共有しながら一緒に子供を育てていくというのは、これまでの教育政策とも矛盾しないと思います。むしろ学校に地域の人を呼ぶ方がいいのではないでしょうか。子供、先生も地域住民も含めて、どうやってクラブを成立させていくかと考えるのが本来のクラブの在り方ではないかと思います。私自身は教師の数を増やして、部活動をやりたい人がやれるような環境を整えるということが必要ではないかと考えます。

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