埼玉県の戸田市立美笹中学校で、60代男性教員が校内に侵入した高校生に刃物で切り付けられた事件から一夜。教育新聞では翌3月2日、生徒の心のケアと学校安全の2つの観点から求められる対応を、有識者に聞いた。事件・災害後の学校現場における心のケアに詳しい武蔵野大学人間科学部の藤森和美教授は「本人はもちろん、他の教員に対するプレッシャーになる」との理由から、高校生を取り押さえようとして切り付けられた男性教員を必要以上に称賛することは危険だと語る。
事件は1日午後0時20分ごろに発生。高校生が学校内に侵入し、同校の60代教員の上半身の複数箇所を刃物で切り付けたとして、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。戸田市教委によると、事件を受けて、同日午後7時半から臨時保護者会を開催。事件の概要や今後のサポートなどについて、校長が説明したという。
また、同市教委は市内全ての小学校と中学校に対して、校内の安全確認について指示。▽保護者名札の着用など、校舎に出入りする人に対する確認▽防犯カメラの活用を含め、授業時の門扉や昇降口が閉じているか▽既存の防犯マニュアルに基づいた対応の確認(児童生徒の避難、全体への危機の周知、応援の呼び方、警察への通報など)――を確実に行うよう求めた。
加えて、2日から6日の週にかけて、学校配置のスクールカウンセラーや相談員に加え、同市教育センターの心理カウンセラーを同校に緊急配置し、子供のケアにあたっているほか、警察と連携し、登下校時の見守りを強化している。
藤森教授は最も多大な心理的ストレスを受けたのは、けがをした男性教員だとする一方、事件現場を見ていたり、音が聞こえていたりした生徒がいた場合、その生徒も大きなストレスを受けている可能性があると指摘する。「自分がもしかしたら切られるかもしれないとか、怖い声がして緊張状態を感じたなど、本人が恐怖体験にさらされたかどうかは大きい」。
心理的ストレスを受けた生徒にまず求められるアプローチについて、藤森教授は「急性ストレス障害はドキドキや音に対して体がビクンと反応する、怖い夢を見てしまうなどの症状が1カ月以内で続く。そのような状態が起こり得ることを生徒や保護者、もちろん教員にも知識として提供すること」とした上で、「症状が子供でも大人でも誰にでも起きるということ。発症した人の心が弱いからとか勇気がないからではなく、むしろ自然な反応だということを理解してもらうことも大事」と語る。
今回の事件では、けがをした男性教員が容疑者の高校生を取り押さえようとして切られたことから、SNS上などでは「勇敢な教員」として称賛する声が上がっている。藤森教授は教員の行動に感心する一方、「美談」に仕立てるのは非常に危険だと警鐘を鳴らす。「取り押さえた教員をあまりにも英雄視してしまうことで、本当は怖かったとか、体の具合が悪いというのが言えなくなってしまう。他の教員にとっても、同様の事案が起きた場合、自分の身をていして子供を守るべきというような刷り込みにつながり、大きな負担になりうる」。
大人と子供の違いはあるが、実際に不審者を取り押さえた生徒がその勇気を必要以上にたたえられたことで、怖かったと言えず不登校になってしまったケースも過去にあったという。「1人の教員の勇気ではなく、組織としてどのように安全管理を考えるのかが重要。取り押さえた教員の心と体の傷は今後も残ると思うので、そこは注意してもらいたい」と訴えた。
また、学校安全に詳しい常葉大学教育学部の木宮敬信教授は「生徒を逃がしながら、他の教員への伝達も行っていたようなので、事件が起きた後の対応は適切だったと思う」とする一方、「他の教員でも同様の対応ができたかは考える必要がある」と述べた。
さらに、「今回の事件では、学校敷地内や校舎内への侵入を許しており、本来はその時点で何らかのハードルが存在しているはず。マニュアルの不備なのか、マニュアルに沿った対応がなされていなかったのかを検証しなくてはいけない」と指摘。マニュアルは作成して終わりにするのではなく、常に改善する必要があるとした。加えて、今回の事件を教訓に全国の学校でもマニュアルの点検を行うとともに、実効性を高めるための訓練をする必要があるとした。
この点については、藤森教授も「中学生という発達段階が高いこともあり、教員の指示に従って、スムーズに逃げられたというのは不幸中の幸い。これが幼い学年だった場合、状況を把握できずにパニックになってしまうケースもある。災害に備える意味も含めて、この機会に避難経路を確認しておくことは、当該学校以外でも必要」と同調した。
今後の対策として、木宮教授は校門の施錠方法の検討や教職員に対する訓練の実施などを提言する一方で、こういった対策は少子化で増加している空き教室の活用や災害時の地域連携といった「開かれた学校」を目指す動きと逆行するものとも指摘。「地域性などを考慮して、安全とのバランスを考えることが現実的な対応として求められる」と述べた。