【適応指導教室を改革する(6)】適応指導教室を地域に開く

【適応指導教室を改革する(6)】適応指導教室を地域に開く
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 「昔みたいに、不登校の子どもたちも地域の中で育てていけばいいんじゃないかな」

 地域懇談会で講演した際に、地域の方に掛けられた言葉です。

 適応指導教室をどこまで地域に開いてよいのだろうかと悩みました。不登校であるという罪悪感や負い目から、人目を避けている子どもがいます。また、勤務する前の私もそうでしたが、適応指導教室を知らない人も多く、一般的に「不登校の子は特別な子」というある種の思い込みがあることも感じていました(最近は少し変わってきましたが)。

 当初は職員間でも意見が分かれましたが、少しずつ交流を始めました。交流前には適応指導教室について、可能性がたくさんある普通の子どもたちだということ、どんなふうに育てていきたいかなどを直接会って伝え、打ち合わせをしました。

 その後、地域のお年寄りとの昔遊びや伝統工芸の体験から始め、木工教室、地域巡り、かるたづくり、農園でのプチ農業体験、職場体験、お世話になった方たちを招待しての調理実習など、ボランティアで来てくださった方が別の方につないでくれる形で活動の幅が広がっていきました。

 この文章を書いていて気付いたのですが、子どもたちが抵抗感なく地域の人たちを受け入れたのは、腫れ物扱いをされなかったからです。不登校だと分かると急に気遣われることに、傷付いている子は多くいます。適応指導教室に勤務し始めた当初の私も、どこかで子どもたちを特別扱いしていました。

 不登校の子どもだと構えることなく、話したり、笑ったり、時には褒めてくれたり、叱ってくれたり…。そうした普通の関わりを子どもたちは求めているのだと思います。お年寄りの手を引いて感謝された時、地域清掃で「ありがとう」と言われた時、誰かの役に立ったと実感できた時に、子どもたちは格段の成長を遂げました。

 最大の交流は「食育フェスティバル」という自治体のイベントです。苦労して完成させた展示物を多くの人に褒めてもらったことは、大きな喜びと自信につながりました。また、子どもが認められたことで、保護者が自分の子どもへの自信を取り戻すという、うれしい副産物もありました。不登校になったことで地域に居場所をなくしていた子どもや保護者に確かな居場所ができたのです。つながり続けるための、教室としての努力や工夫はもちろん必要ですが、地域は頼もしい味方だと実感しています。

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