【13歳からのアントレプレナーシップ】 経営教育を子どもたちに

【13歳からのアントレプレナーシップ】 経営教育を子どもたちに
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 人が喜ぶもの、応援したくなるもの、新しい価値あるものを社会に提供するため、チームで力を合わせる方法を学ぶのが経営教育だと語る慶應義塾大学商学部の岩尾俊兵准教授。価値の創造を重視する研究や教育活動の原点は、自身の小中学校時代や父親との思い出にあるのだという。インタビューの第2回では、「人中心の経営」の実践者とも言える岩尾准教授のこれまでの歩みに迫った。(全3回) 

■実家は代々続く有田焼の窯元

――小さい頃はどんな子どもでしたか。家庭の教育方針のようなものはあったのでしょうか。

 佐賀県有田町で有田焼の窯元を営む家に生まれました。焼き物は、元々は土からできています。それを粘土にして成形し、絵付けをして釉(うわぐすり)を塗り、焼成して壺や皿やレリーフなどにして、高い値段で取引される美術工芸品となります。既存の材料に新たな付加価値を加え、人が喜ぶものを作る。そんな過程を見ながら育ちました。

 父は祖父が大きくした会社の常務取締役として、いくつかの関連会社の経営に携わっていました。どこか学者肌な人で、家には蔵書が1万冊ほどあり、私も小さい頃からドラッカーなどの経営学の古典や論語などに親しみながら育ちました。

 例えば、業務全体の流れの中で阻害要因となるものを「ボトルネック」と呼びますが、そんな話も小学生の頃から何となく聞かされていました。父が瓶の首を指して、そういった話をするんです。そんな父親でしたが、一族で経営権争いになってしまい、父は実家を飛び出してライバル会社をつくってしまいました。しかし、急ごしらえの会社の経営はうまくいかず、結局多額の借金を抱えて倒産してしまいます。その後は佐賀県内で小さな学習塾を開いていましたが、家庭の経済状況は厳しくなるばかりでした。

――学校ではどうでしたか。

 新しい遊びを見つけては流行らせるのが好きな子どもでした。それで調子に乗りすぎて、周りから叩かれて初めて周囲とうまくやる方法を見つけていくようなタイプ、何事も経験しないと分からないタイプでした。

 幼稚園の頃は「泥だんごづくり」や「ロープ遊び」が得意で、ちょっとしたスター気取りでいました。良い泥の場所や磨き方を知っていたり、遊ぶのにちょうどいいロープを自分が持ったりすることで、いろいろな友達と仲良く遊んでいました。

 でも、そのノリで小学校に上がったところ、体格の大きな3人組から生意気だといじめられました。そこで次に、その子たちとどうすればうまく付き合えるかと考え、3人より強い子と仲良くなって、対等に向き合える状況をつくるなんてことをしていました。

 中学1年の時に、初めて経営の体験もしました。図書館司書の先生のお宅の軒先を借りて、訳あり品の陶器を販売して、売上を仲間と山分けしていたんです。

 そんな感じで調子に乗った子どもだったので、所属していたバスケットボール部では失敗をしてしまいました。試合で負けた後、「練習していないから負けて当たり前だよな」と、口が滑ってしまったんです。「また失敗した!」と思いましたが後の祭り、部員たちから無視される日々が続きました。

■自衛隊員から高等学校卒業程度認定試験を経て大学へ

――その後の歩みについて教えてください。

 周囲の人間関係や環境を変えてみたいと思ったのと、父の会社が倒産した影響で家計の状況がとても厳しくなっていたので、中学卒業後に郷里を離れて神奈川県横須賀市にある陸上自衛隊少年工科学校(当時)に進みました。そして、自衛官(三等陸士→二等陸士→一等陸士昇進同時に退職)として給与をもらいつつ、高校の通信制教育で学びました。

 その後、高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)に合格し、大学受験を経て慶應義塾大学に進学しました。学費は自衛隊時代に貯めたお金やアルバイトで稼いだお金を充てました。少し早く社会人経験をしたことで、職場や組織の中で人とうまくやっていく術も身に付けられました。「人の経営」を体験的に学んできたと言ってもいいと思います。

――その後、研究の道に進んだのはなぜですか。

 祖父や父の姿を見てきて、また大学院時代に自分でも起業してみて、経営者の苦労を知ったからでしょうか。父は私が大学4年の時に亡くなるのですが、「経営者になるとお金の夢を見るぞ」と言われました。起業してみたら本当にそうだったんです。

 周りには「起業する」と言うだけで、億単位の出資を申し出てくる人もいました。私は断りましたが、もし受けていたら「イケてるビジネスマン」にはなれたかもしれません。でも、経営学を通して社会に価値を提供する仕事をしようとは思わなかったことでしょう。

■経営とは仲良くする技術のこと

――これまでのアントレプレナーシップ教育と、経営教育の違いは何でしょうか。

 これまでのアントレプレナーシップ教育は、端的に言えば「お金持ちに憧れさせる教育」だったと言えるのではないでしょうか。先述したように、ここ30年間は「お金に好かれる人」が成功してきました。しかし、これからのインフレ社会では、お金よりも人を中心とした経営教育が必要になってきます。

 小学生に話すとき、私は「他人と仲良くする技術が経営だよ」と表現しています。みんなが喜ぶような、応援したくなるような目標を立てて、一緒に夢を語ってチームをつくり、仲良くする技術こそが経営だと。『13歳からの経営の教科書』が、『ズッコケ三人組』や『ぼくらシリーズ』のように教室の学級文庫に置いてあり、みんなが手に取ってくれるような本になれば日本は変わると本気で思っています。

 それから、これはアントレプレナーシップ教育を提供する側の問題なのですが、日本の教育を本気で変えたいと思うのであれば、「お金」や「ファイナンス」の立場から意見するのは違うと思っています。成功して海外移住、お金を貯めて早期リタイアするような生き方も否定はしません。でも、そのポジションから「日本の経営教育は、価値創造が大事」と言うのは、説得力に欠けると思っています。

 お金は製品やサービスと交換しなければ役に立たないただの「紙」です。交換できる製品やサービスがより良いものでなければ、持っていても意味がありません。だからこそ、人々が喜ぶようなもの、幸せになるような価値を生み出す人を育て、経済成長につながるような生き方を自分はしたいと思っています。

 こんなふうに「人中心の経営」の話をすると、両極端な反応が返ってきます。「その通りだ」と賛同してくれる人もいれば、「そんなこと言ったって」と否定的に捉える人もいます。そのたびに、お金もモノもサービスも、そもそもは人が幸せになるためにあるということがいかに忘れられているかを痛感します。

【プロフィール】

岩尾俊平(いわお・しゅんぺい)慶應義塾大学商学部准教授。1989年、佐賀県有田町生まれ。父親の事業失敗のあおりを受け、中学卒業と同時に単身上京し、陸上自衛隊に入隊。高卒認定試験(旧・大検)を経て、慶應義塾大学商学部へ進学。東京大学大学院経済学研究マネジメント専攻博士課程を修了。東大初の博士(経営学)を授与される。大学在学中に医療用ITおよび経営学習ボードゲーム分野で起業、明治学院大学経済学部専任講師、東京大学大学院情報理工学系研究科客員研究員、慶應義塾大学商学部専任講師を経て現職。子どもたちにも分かりやすい経営の入門書をつくりたいという思いから『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)を上梓。

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