2021年4月の開校当初から注目を浴びてきた「学びの多様化学校(不登校特例校)」の岐阜市立草潤中学校。ここに勤務するのは、全員が草潤中での勤務を希望もしくは教育方針に納得した教員だ。とはいえ、「1年目はどう生徒に関わっていけばいいのか、どう授業をすればいいのか、誰も分からなかった」と手探りの日々だった。開校から3年、教員らはゼロから学校をどのようにつくっていったのか。「生徒を甘やかしているのではないか」という葛藤とも向き合い、見えてきたこととは━━。
草潤中で教務主任を務める中今純一教諭。これまでの教員生活の中で宿題の在り方や校則など、さまざまな違和感を抱えていた中、草潤中の「学校らしくない学校」というコンセプトに引かれ、勤務を希望した。「ゼロから学校をつくることに携われるチャンス。これまで培ってきた教育観を見つめ直し、新たな学びができるのではないか」と期待を胸に飛び込んだ。
しかし、1年目は苦労の連続だった。「学校らしくない校舎やコンセプトはあったが、実際に生徒が通い出して具体的にどうやっていくのかは、まったく決まっていなかった」と振り返る。年齢も経験もバラバラな教員が集まったが、ベテランの教員でもどうしたらいいのか分からない。誰も正解など持ち合わせていない。放課後は毎日「どうする?」と教職員で対話を重ねる日々が続いた。
例えば、子どもたちとどう関わればいいのかも分からなかった。「過去につらい経験をした子どもたちは、さまざまなことに敏感で傷つきやすいのではないか。話す言葉も慎重に選んでいた」と当時を振り返る。
授業についても同様だ。「それまで自分の授業では、グループ交流や発表する場をたくさん作っていたが、そういう授業では生徒たちを苦しめてしまうかもしれない」と悩んだ。
日々、「今日の授業はどうだった?」「どうすればもっとやりやすい?」と子どもたちの声を聞きながら授業のやり方を探っていったが、その場で「嫌だ」と言ってくれる子も少なかった。むしろ、言えなくて抱えてしまう子の方が多かったという。
それでも少しずつ、少しずつ「この子はいきなり指名されるとしんどい」「この子には分かっていることを問うのはいいけれども、自分の考えを話させるのはハードルが高い」といったことを、確認しながら進めていった。
中今教諭が担任する中に「登校してくるものの、授業にはほとんど出られない。でもプログラミングには熱中している」という生徒がいた。当初はパソコンを使って、一人で黙々とゲームをつくっていたそうだ。それを見守り続けていた中今教諭が価値付けし、他の教職員からも認められる場を増やすことで、生徒は徐々に自信を付けていった。そして「同世代の子にも知ってほしい。一緒にやりたい」と変化していった。
「今では同級生と一緒に時間をつくって取り組んでいる。戦略ゲームをつくるために日本地図を使いたいから社会の勉強を、BGMを付けたいから音楽の勉強を、オリジナルのキャラクターを描きたいから美術の勉強をしている」と中今教諭。
この3年間、生徒と関わっていく中で「学校に自分の居場所があったり、信頼できる先生や友達がいたり、何か夢中になれるものが見つかったり、それらが一つでもあると、子どもたちは変わっていく」ことを実感している。
「安心できる居場所もない、誰とも信頼関係を築けていないのに、『どんなことをやってみたい?』と聞かれても、答えることは難しいだろう。だから不登校を経験した子どもたちには、まず安心できる環境を作ることを大切にしたい」と語る。
安心感という土台を築くためには、十分な時間が必要だと中今教諭は話す。例えば、生徒らは4月当初はリスタートしようと頑張って登校するが、しばらくすると登校できなくなる。しかし、そこで教員たちは生徒を「さぼっているのではないか」と見るのではなく、「頑張り過ぎたから休みたいんだな」「今はその子にとって必要な充電期間なんだろう」と見守っている。
こうした対応ができるのも、開校1年目から教職員全員で生徒理解に一番時間をかけて取り組んできたからだ。生徒一人一人のカルテをつくり、教職員間で共有している。校内では担任ではない生徒も含めて、全ての教職員が心を配っている。
「生徒の心情や状況をつかむことにより、今は声を掛けるべきか、見守るべきか、生徒へのアプローチが変わってくる」と中今教諭は強調する。
今の3年生が草潤中で過ごした3年間を改めて振り返ると、「あの子にとって、あの時の休みは大事だったんだな」と思うことがたくさんあるそうだ。「生徒の状況を理解し、『今のこの子だったら何かやれるかも』というタイミングで、その環境や選択肢を準備するのが、教師の役割ではないか」と考えを示す。
「草潤中で勤務する以前は、保健室に来る子に対して、授業に出させることが一番だと思っていた。『みんなは授業中だよ』『今じゃなきゃダメなの?』『大丈夫、大丈夫!』とハッパを掛けるようなことも多かった」
そう振り返るのは、草潤中の「ヘルスルーム」を担当する山口五十美養護教諭だ。「今じゃなきゃダメだから、大丈夫じゃないから、子どもたちは保健室に来ていたのだと、今なら分かる。大丈夫かどうかなんて、大人が決めることではない。今までの自分を、ここにきて反省している」と明かす。
草潤中の教職員は、生徒が助けを求めてきたら「いいよ」と、どんな時も絶対に受け止める。「だから、生徒は安心してSOSを出すことができるんだと気付いた」と山口養護教諭は語る。
一方で、外部からは「草潤中にいる間はいいけれども、ここを卒業したら通用しないのではないか」と言われることも多かったそうだ。山口養護教諭も「最初は私もそうかもしれないと葛藤していた」と打ち明ける。
しかしある時、校内研修で草潤中の立ち上げに携わった京都大学総合博物館の塩瀬隆之准教授から「SOSを出す力を身に付けた子、安心していられる居場所を見つける力を身に付けた子というのは、進学しても、就職しても、またそこでいろいろな人にSOSを出したり、居場所を見つけたりできる」と聞き、「それがすごくふに落ちた」という。
ヘルスルームにいつも来る生徒は「別に毎日声を掛けてくれなくてもいいし、褒めてくれなくてもいい。『この前よりもこうなったね』と、事実を言ってくれることのほうがうれしい」と伝えてくれた。
「子どもたちを見ていると、それぞれ伸びていっているし、自信も付けていっているし、できることも確実に増えていっている。それを今、私も実感している」と山口養護教諭は笑顔を見せる。
開校から3年、管理職以外の教員は異動もなく、同じメンバーで学校づくりにまい進してきた。草潤中の取り組みをそのまま他の公立学校で実践することは難しくても、「ここでの気付きを今後の異動先の学校でも生かしていきたい」と教員らは語る。
中今教諭は「草潤中の生徒は、担任を選ぶのも自分、1日の時間割を決めるのも自分、学ぶ場所を決めるのも自分だった。小さなことかもしれないが、自分で考えて決めて実行するという経験値は、生徒たちの成長につながっている」と強調する。
自由であるが故に、責任も伴う。しかし、この3年間、自己決定を重ねることで子どもたちの姿勢が変わっていくことを、草潤中の教職員は目の当たりにしてきた。
「草潤中は、何もない状態から子どもたちにとって必要なことを増やしていった。今後、他校に異動した際も、そういう視点で一つ一つの教育活動を捉え直していきたい。そして、子どもたちが自己決定できる機会を増やせていけたら」と、中今教諭は未来を見据える。