元日に発生した能登半島地震から1カ月半。防災専門学科を日本で初めて設置した兵庫県立舞子高校の環境防災科で科長を務め、現在は県立明石北高校で教壇に立つ桝田順子教諭は、防災教育について「つらい、むごいだけで終わらせたくない」と語る。大きな災害を経たいま、教員は児童生徒にどのように防災を伝えていくべきか聞いた。
――能登半島地震を受けて、生徒に伝えたこと、これから伝えたいことはありますか。
今回の地震では、私たちがこれまで想定していた災害という概念が、あらゆる面で覆されたように思います。例えば、元日に大きな地震がくるとは、多くの人が想定していませんでした。被害状況をみても、これまでは液状化がほとんど確認されていない震度4程度の揺れの地域でも、液状化の被害がありました。
一方で新たに災害が発生するたびに、想定外のことは起こり続けていきました。つまり災害下ではどんなこともあり得るということを、改めて痛感しました。
生徒たちにはそれを踏まえて、何か自分が興味のある部分をきっかけに、それを突き詰めて考えることが防災につながると話しています。
具体的にあげると、今回の地震では「備え」について、今一度見直す必要性を感じた人も多いと思います。例えばトイレ。水が流れなくなっても、バケツで水をくんできて流せると思っていた方も多いのではないでしょうか。しかし今回は、下水道そのものが止まり、水をくんでくることさえもできない状況の地域が多くありました。そんな状況を想定した場合、どんな備えができるだろうか。生徒たちはそうやって思考を巡らせています。
――2年前に県立明石北高校に赴任されました。具体的にどのような防災教育を実施されていますか。
2022年度から高校で必修となった「地理総合」を、2年生に教えています。地理総合では防災の単元があり、教科の中でいかに防災教育を根付かせていくか試行錯誤を重ねています。防災の単元は教科書の最後に出てきますが、最後でいきなり防災について触れるのではなく、1年間の授業を通して防災の種をまくことを意識しています。
今年度は内閣府の「防災教育チャレンジプラン」実践団体に選出され、「持続可能な地域づくり」と「防災」を関連付けて生徒は学びを深めています。
具体的には本校のある明石市を、改めて防災の観点から見直してもらっています。例えば、夏休みにはまち歩きをして地域調査をするという課題を出しました。自分が生活するまちを安全とリスクの観点から見て、レポートにまとめてもらいました。それを踏まえて、冬休み前に改めて自分のまちを住みやすくするためにはどうしたらいいのかを考えて、市長に向けて提言をつくりました。
――生徒からはどんな提言があったのでしょうか。
2月2日に市長を招いて、代表の生徒がプレゼンテーションをしました。私が特に興味深いと思ったのは、一見防災とは関係なく見えることでも、どこかで防災とつながっているというアイデアがいくつもあがったことです。
例えば、「図書館をつくりましょう」という提言。明石市は近隣の地域と比べて、図書館の割合が少ないんです。新しい図書館ができるとまちの魅力につながり、住む人や訪れる人も増える。そうすれば市の財政が潤い、さまざまな施設の整備が整い安全なまちにつながるというのが、生徒のビジョンでした。
――防災教育は今後どのような広がりを見せるでしょうか。
「地理総合」が必修となり、高校生が防災を学ぶ土壌を国がつくった意義はとても大きいと感じます。高校の教員として、この「地理総合」という教科にとても期待しているとともに、私自身も頑張っていかなければと思っています。この教育課程がしっかり根付いていき、そこで学んだ生徒たちが社会に出ていくことで、社会全体の防災に対する意識も少しずつ変わっていくと思います。
小・中学校の場合でも同じで、防災を掲げていなくとも、防災につながる学びはたくさんあります。国語や体育など教科の授業でも、特別活動でも、「これって防災とつながっているかな」と意識を向けるだけで、児童生徒への伝わり方が変わっていくように思います。
私は前任では、兵庫県立舞子高校の環境防災学科で教壇に立っていました。そのときに心に留めていたのは、生徒が大事にしていることや関心のあることを1つの鍵にして、防災といかに結び付けられるかを意識しようということでした。
防災を学んでいると、実際の被害や被災者を目の当たりにして、正直つらいことも多いです。ですが、「つらい」、「むごい」だけの学びで終わらせたくない。そこに広がりや発見を見出して、生徒と共有できればいいなと考えています。
――教員自身も防災について、心に留めておくようにしなければなりませんね。
防災に触れる子どもたちを見ていると、教員も変わっていくように思います。本校でも生徒たちが学ぶ姿をみて、他の教員たちが情報提供してくれたり、興味を持ってくれたり、学校全体の防災に対する意識も高まっています。
例えば、本校は指定避難所ではないので、市からの備蓄品はありません。これまでは私も含め、あまり意識する教員もいませんでした。しかし能登半島地震を受けて、生徒が在校中に災害に遭った場合、生徒を帰宅させられないし、食べ物や飲み物がない状況になったらどうしようかということが議題にあがりました。そこから校内の備蓄を考えようという方向に、話が動き始めました。
――能登半島地震では、避難所の立ち上げや中学生の集団避難への同行など、災害時の教員の役割についても改めて考えさせられました。
私の所属している兵庫県震災・学校支援チームEARTH(アース)では、震災直後から被災地に数人ずつ支援部隊を派遣しています。私自身はまだ順番は回ってきていませんが、実際に現場で支援に当たった同僚にいろいろと話を聞きました。
EARTHでは異校種、幅広い年齢層、事務職や栄養教諭・養護教諭といったさまざまな職種の人々がチームを組み、現地のニーズをくみ取りながら派遣が行われています。現在は1週間ごとに入れ替えでチームを派遣しています。
地震直後は、避難所の開設と学校再開に同時に取り組まなければなりません。避難所の運営主体となるのは地域住民ですが、もちろん教員もサポートに入ります。被災して学校に来られない児童生徒も多いので、彼らと連絡をとる必要もあります。教員自身も被災した中で、このような業務に当たるのは激務だと思います。
東日本大震災で実際に避難所の設置や運営に当たった教員に、話を聞いたことがあります。苦労した教員ほど苦労したと言わない姿が印象に残っています。その代わりに明かしてくれたのは、「児童生徒に救われた」ということです。その言葉を思い出すたびに、私がもし被災してそのような状況になったとき、どうするのだろうかと考えています。