小学校教育は幼児教育から学ぶことはできるのか 鈴木寛氏に聞く

小学校教育は幼児教育から学ぶことはできるのか 鈴木寛氏に聞く
iStock.com/maruco
【協賛企画】
広 告

 学校教育において「学習者主体の学び」へのシフトが課題となる中、子ども主体の遊びを通した学びを重視してきた幼児教育と小学校教育をつなげていく「幼小接続」の進め方や留意点について、元文科副大臣の鈴木寛東大教授・慶大特任教授に聞いた。鈴木氏は「新しい学力観や教育観でみれば、『小』よりも『幼』が合っている。だから『小』を『幼』に近づけていくことができれば理想的だ」としつつも、中学受験対策の低年齢化が小学校教育を通じて幼児教育にも影響を及ぼしていることなどを懸念点に挙げ、「全体として問題を考える中で、小学校低学年の学びをどうするのかを描いていくことが一番の課題になる」と指摘した。

理想的には「小」を「幼」に近づけていくのがいい

--学習指導要領の改訂作業に先立ち、文部科学省では有識者検討会で幼小接続について論点整理を始めています。

 子どもたちのウェルビーイングの向上を考える中で、非認知能力の果たす役割が大きいことが明らかとなり、「生きる力を育む」という学力論の再構成にもつながりました。そうした非認知能力を身に付ける上で、幼児教育が重要であることもはっきりしています。OECDでは、非認知能力のことを社会情動的スキル(social emotional skills)と整理し、目標の達成、他者との協働、情動の制御に関わるスキルとして定義しています。

OECDによる「社会情動的スキル」のフレームワーク
OECDによる「社会情動的スキル」のフレームワーク

 昨年5月に富山・石川両県で開かれた先進7カ国(G7)教育相会合では、コロナ禍で再確認された学校の本質的な役割について「学校は子どもの心と身体の健康を支え、ウェルビーイングを高める」と説明し、その文脈で社会情動的スキルの重要性を確認しました。このG7に合わせて来日したOECD教育・スキル局のアンドレアス・シュライヒャー局長と会ったとき、社会情動的スキルの向上は、OECDにとっても、日本においても、極めて重要になってきているという認識で一致しました。

 日本では、昨年6月に閣議決定された第4期教育振興基本計画(2023~27年度)で、初めてウェルビーイングの向上を教育政策の重要なコンセプトとして掲げたわけですが、ここには子どもたちのウェルビーイングの実現を支えるものとして社会情動的スキルが大変重要だという考え方が位置付けられていると理解していいと思います。

--幼児期における社会情動的スキルの育成が子どもたちのウェルビーイングの向上につながるのならば、幼児教育と小学校教育の「幼小接続」をもっと進めるべきだという議論にならないでしょうか。

 幼小をつながなければいけないという議論は分かります。ただ、危険性もあります。

 どういうことかと言うと、幼稚園教育要領はもともと主体性を重視していて、「生きる力を育む」という新しい学習観・学力観・教育観にもともと合っています。それに対して、「小」や「中」は従前の教育観を引きずり続けてきていて、それを何とか変えようと頑張ってきたわけです。18年6月の「Society 5.0 に向けた人材育成」(林レポート)、21年1月の中教審答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」(令和答申)、そして23年6月に閣議決定された第4期教育振興基本計画と続けて、新しい学習観や教育観に持っていこうとしています。

 そういう意味では、幼小接続に話を絞ると、「小」をどうやって「幼」に近づけ、接続していくかになります。理想的には、それができれば一番いいです。

 けれども、力学として、幼稚園教育要領を担っている人たち、あるいは幼稚園教育要領の政策的位置付けと、小学校の学習指導要領を担っている人たち、その政策上の位置付けを比較したときに、明らかに後者の方に影響力がある。こうした力関係があるときに、両者を混ぜてしまうと、幼児教育の良さが従来の教育観を引きずる小学校教育に飲み込まれてしまい、『良貨は悪貨に駆逐される』という危険性も考えておかなければいけない。理念と現実の両にらみで見ていく必要があります。

急速に進む中学校受験対策の低学年化

--日本の幼児教育が持つ良さと課題を、もう少し説明してください。

 従前の日本の幼児教育は非認知スキルを重視した教育でした。主体的で、協働的で、アクティブ・ラーニングのような創造性に満ちたものだったと思います。幼児期の教育では、言語化や記号化ができない、いろいろな体験の吸収がすごく重要ですが、日本の幼児教育はそういうことを総じてやってきました。

 ところが、10年前ぐらいから、幼児教育においても、認知スキルを強調する流れが台頭してきています。いろいろな知識を知っているとか、計算が速くできるとか、そういうものを売りにした幼児教育がはやり始めている。しかもその方が一部の保護者には受けるところもあって、昔からの良き日本の幼児教育と、市場経済的で「お受験的なもの」に資する新しい幼児教育が台頭してきていて、いま拮抗(きっこう)している状況になっています。

 これが1つ目のポイントです。社会情動的スキルや非認知能力が重要と言われ始めているのに、むしろ、日本の幼児教育には最近、認知スキルとか、競争主義的なものが入り始めてきているという現実がある。そうすると、これまで非常にうまくやってきた幼児教育をどうやって守っていくのかが重要なポイントになると思います。幼児教育には「お受験の早期化」の脅威があるということです。

 2つ目のポイントは、幼児教育の無償化によって、保育所でも認定こども園においても、幼児教育が重視されるようになったことです。これは当然よいことです。従来の保育所や認定こども園は、子どもたちが楽しく元気に仲良く生活してくれればいい場所だったわけですが、そこにも認知スキル教育的要素が入り得る可能性が出てきている。就学前の教育をいろいろな市場主義から守っていくことが大事なのではないかという認識があります。

--社会の変化が幼児教育や小学校低学年の教育にも大きな影響を与えているということですか。

 幼小接続を考えるときには、中学校受験対策の低学年化が大変な勢いで進んでいることも見逃せません。20世紀の中学校受験対策は小学5年生からでした。それが今や、小学3年生からは当たり前。下手すると2年生からスタートします。それが、幼稚園にまで食い込もうとしている。

 こういうプレッシャーがある中で、幼小連携がとりわけ必要となる小学校低学年、3年生ぐらいまでのところをどういうふうに持っていくか。これは非常に大事な課題です。単に学習指導要領の議論だけでは済まない現状になっています。

 子どもたちは結局、学習指導要領に準拠している学校教育と、受験の低学年化にさらされている民間教育・家庭教育によるダブルバインド(二重拘束)にはまっているわけです。午前中に行っている学校で正しいとされていることと、午後に行っている塾で正しいとされていることが違う。発達科学上、子どもにとって最も良くないのは、ダブルバインドです。都会の子どもを中心に、非常にゆがんでしまいます。

 一方で、家庭の経済状況や都市と地方によるデバイド(格差)もあります。塾に行けず、学校教育だけやっている所得の低い層。物理的に塾がない、特に低学年向けの塾がない地方。それぞれ都会の裕福な家庭とのデバイドがあります。低学年にはむしろ地方の教育環境の方が望ましいのですが、地方の保護者は、そのことも不利だと錯覚しています。

鈴木寛東大教授・慶大特任教授=本人提供(キッチンミノル撮影)
鈴木寛東大教授・慶大特任教授=本人提供(キッチンミノル撮影)

小学校低学年の学びこそ、夢中になる体験が必要

--社会情動的スキルや非認知能力が大切だという理念と現実のギャップが広がっているように思えます。

 幼少期は社会情動的スキルや好奇心を伸ばし、新しいことに取り組んで自己肯定感を高めていった方が、その後には伸びることがはっきりしています。文科省が2万人を対象に追跡調査した21世紀出生児縦断調査(01年出生児)によると、小学生の頃に自然や社会、文化的な体験が多かった高校生は自己肯定感が高いことが分かっています。

 つまり、小学生教育では探究的な学びや体験的な学び、あるいはSTEAMのアート(芸術)に該当することを、その子どもの関心や興味に応じてやるのがいいわけです。子どもたちが夢中になる体験が重要で、体験、探究、アート、それから友達と仲良くすることが最優先されるべきです。これは幼児教育がこれまで大切にしてきたことを引き続き小学校低学年にまで引っ張ってくるべきだという意味であって、認知的スキルはセカンドプライオリティーでいいということです。

 それにも関わらず、受験マーケットには中学校受験の早期化という圧力があり、社会情動的スキルよりも、友達に勝つ競争力をつけるための認知的な学習を重視する傾向になっている。その結果、都会の裕福な層の子どもたちは、学校と塾のダブルバインドに苦しみ、いろいろな心の葛藤や問題を過剰に抱え、後に失速してしまう。家庭の経済状況が良くない層や低学年向けの塾がない地方に住む保護者たちは、不要な疎外感や焦燥感にさいなまれる。みんながハッピーではない状況に陥っています。

--子どもたちのウェルビーイングの向上を目指すという教育政策のコンセプトとは真逆の現実を感じます。

 この問題をトータルとしてどうやって解いていったらいいのかを整理して、公教育の位置付けや役割をどうしていくのか、その中で学習指導要領をどうしていくのかを考えなければなりません。

 学校の位置付けや役割について、新しい学習観・学力観・教育観から考えれば、社会情動的スキルを磨くことが非常に重要になってきます。そうすると、小学校低学年においては、学習指導要領の中で、教科もさることながら、特別活動も重要になってきます。学級活動や学校行事などの特別活動は、多様な他者との協働や合意形成による課題解決といった資質能力の育成につながるからです。

 一番の課題は、小学校低学年の学びをどうしていくのか、この方向性を描くことです。小学校低学年は今、いびつな形になっていて、初等中等教育の中でもひずみが一番大きい。そのひずみを解消するために、相対的にはうまくいっている幼児教育の学びをどういうふうにうまく取り入れながら、進化発展させていくのか。こういう方向性で幼小接続を考えていかなければいけないはずなのに、最初に申し上げたように、小学校教育が幼児教育よりもパワフルであるという力学的な現実があります。

 小学校低学年の学びこそ、社会情動的スキルを磨くための協働的な学びとか、あるいは子ども一人一人の好奇心に寄り添って、それを深めていくための、夢中になる体験をもっともっと重視していく必要がある。この共通認識の基盤をしっかり作っていくことが、課題解決のスタート地点になるのではないでしょうか。

広 告
広 告