【「学校とは何か」を問う】 引きこもり生活からの脱却

【「学校とは何か」を問う】 引きこもり生活からの脱却
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 17歳でデモクラティックスクールASOVIVA!の代表に就いて以降、子どもたちを見守り続けてきた長村知愛さん。自身は小学5年生の頃に家に引きこもり、約6年後にASOVIVA!を開校するまでは、中学校にも高校にも行かなかったという。先が見えない日々をどのような思いで過ごしてきたのか。インタビューの2回目は、スクールが開校に至るまでの長くつらい道のりにスポットを当てた。(全3回)

「人生が終わってしまった」

――長村さんご自身、小学生の頃から学校に行かなくなったと聞きました。どのような経緯があったのでしょうか。

 学校に行かなくなったのは小学5年生の12月、冬休みに入る前のころです。当時、クラスの男の子から「死ね」と言われたり、女の子同士のいざこざがあったりした上に、担任の先生の気性が荒くて、怒ると机を蹴飛ばすような人でした。加えてその年から始まったマラソン大会が嫌で嫌で仕方がなく、2週間くらい前から毎日家で泣いていました。結局、大会当日は欠席したのですが、そのことを周囲から言われるのが嫌で、次の日も、またその次の日も学校を休んで、そのまま冬休みに突入しました。

 実は小学2年生のときにも一度、学校に行かなくなった時期があったのです。その時は何とか自分に言い聞かせて、嫌な気持ちを払拭して通うことができました。そんな経緯もあったので、小5の時は「もう学校に行くのやめていい?」と母に言いました。母には「本当に学校に行きたくないのか、自分の気持ちを確かめるためにも、3学期の始業式だけは行っておいで」と言われ、行ってはみました。でも、ずっとうつむき加減でいて、結局翌日から学校には行かなくなりました。

――その後は、どんな生活を送っていたのですか。

 ずっと家に引きこもって、「自分はきっと中学校にも高校にも行けないし、仕事にも就けない。人生が終わってしまった」と考えていました。そして、「ハリーポッター」の動画を見て、「どうしたら魔法使いになれるだろう」などと考えていました。完全な現実逃避です。

 その他にも、メイクをしては落とす行為を繰り返したり、部屋を執拗(しつよう)に掃除しまくったり…。食べ物も異常なほど食べまくって、半年で20キロくらい太りました。人目が気になってろくに外出もできず、母親に「ごめんなさい」と言って、泣いてばかりいました。一方で、何かにつけて「やっぱり、分かってくれない!」と父や母にきつく当たり、自傷行為をしたり、部屋の物をひっくり返したりするような日が、2年半くらい続きました。

小学生の頃、学校に行かなくなった経緯を語る長村さん=撮影:佐藤明彦
小学生の頃、学校に行かなくなった経緯を語る長村さん=撮影:佐藤明彦

世の中にないから、自分でつくる

――その間は、ずっと自宅に引きこもっていたのでしょうか。

 小学6年生のとき、数カ月ほどフリースクールに通ったことがありますが、電車に乗るのがつらくて、次第に休むようになりました。周囲のお客さんのことが気になって、「みんな、爆弾を持っているんじゃないか」なんて被害妄想を抱くようになったのです。そうしているうちに、そのフリースクール自体がなくなってしまいました。また、適応指導教室に行ったこともありますが、窓口で断られてしまいました。

――そんなことがあるのですか。

 私が必死に自分を繕って、しっかりと受け答えをしたところ、「この子は学校に『行けない』のではなく『行かない』のだ」と判断されたようです。適応指導教室は、学校に「行けない」子が行く所で、私は単なる「わがまま」と取られたのです。家では、先ほど話したような状況だったのですが、理解してもらえませんでした。

――そうした苦い経験もあって、フリースクールをつくるという方向に針が振れたのですね。公教育への反発心のようなものもあったのでしょうか。

 別にそうした反発心があったわけではありません。ごく自然に「世の中にないのなら自分でつくるしかないか」という感じでした。15歳くらいの頃には、「学校の先生もそれぞれの持ち場で頑張ってくれているだけ。それを責めても仕方がないよな」と思うようになっていました。

 スクールの開校に先立ち、母が4年ほどサークル活動をしてくれていたので、それをベースにNPO法人を設立しました。そして私がその共同代表に就き、どんな学校をつくるか、周囲の大人たちと話し合いを重ねました。

 また、その頃から幼児に自然教育を提供する「森のようちえん」にも参加していました。ここでは、子どもの気持ちの受け止め方や主体性を引き出す方法など、多くのことを学ばせてもらいました。今、子どもたちの気持ちをある程度推し量れているのも、「森のようちえん」での経験があったからだと思います。

工作に夢中で取り組む子どもたち。スクールの開校から丸4年がたった。=撮影:佐藤明彦
工作に夢中で取り組む子どもたち。スクールの開校から丸4年がたった。=撮影:佐藤明彦

17歳でNPOの代表理事に

――その後、NPOの代表理事になられました。17歳の時だったわけですが、まだ他にもいろいろな進路が考えられる年齢です。躊躇(ちゅうちょ)はなかったのでしょうか。

 当時の私には、「これをやりたい」という明確なものがありませんでした。それならば、目の前にあることを精いっぱいやってみようと考えたのです。考えてみれば、全ては私自身から始まったことです。学校へ行かなくなった自分だからこそ、できることもきっとあると考えました。

――スクールに来る子どもたちに、何かしら伝えたい思いのようなものがあったのでしょうか。

 「学校に行かないことは、全然大したことじゃない」ということです。でも、かつての私がそうだったように、多くの子は「やばい」と思っている…というより、思い込まされています。

 私は運よく、母や周囲のサポートもあり、2年半ほどで元気になれました。でも、今も多くの子が抜け出すきっかけをつかめずにいます。そうした子を1人でも減らしたい。そんな思いが、私自身がNPOの代表理事になる上でのベースになっていたように思います。

――今、不登校の数は29万人以上に上り、過去最多を更新し続けています。ぎりぎりまで追い詰められている子も、たくさんいると思います。

 そうですね。学校の先生や保護者も、学校に行くのが普通・当たり前だと考え、それが結果として本人を追い詰めているような状況もあります。そうした中で、私たちが「そんなことないよ」と伝え続けることで、子どもたちには「行く・行かないを自分で選ぶだけなのだ」と気付いてほしいなと思っています。

子どもたちに「学校に行かないことは、全然大したことじゃない」と伝えたいという=撮影:佐藤明彦
子どもたちに「学校に行かないことは、全然大したことじゃない」と伝えたいという=撮影:佐藤明彦

【プロフィール】

長村知愛(おさむら・ちあ) 2003年生まれ、大阪府出身の現在21歳。11歳で学校に行かない選択をし、母と共に居場所づくり活動を始める。15歳の春にNPO法人ASOVIVAを設立し、代表理事に就任。現在は大阪府の河南町にて、築100年の古民家を使って不登校の子供たちが社会的な自立へと向かうためのスクール、デモクラティックスクールASOVIVA!を運営している。

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