「個が育つ教育経営」を掲げる富山市立堀川小学校(石田和義校長、児童577人)では、教師の養成や研修についても、教師一人一人の「個」を重視した独自の取り組みが行われている。ここでも問われるのは、徹底した「子ども理解」だ。一つの単元を扱う授業の全てを数カ月かけて他の教師が参観し、子どもの育ちや学びについてそれぞれの教師が自分の見方や考え方を資料にまとめ、お互いの「子ども理解」について議論する。それを通じて教師たちは自分の追究をさらに進め、教師としての学びを深めることができるという。堀川小学校の取り組みを考える記事の6回目となる最終回では、教師一人一人の「個別最適な学び」を重視した同校の研修体制についてお伝えしたい。
「堀川小学校の研修は、基本的には個人研修。教師一人一人が個人の課題を持ち、それぞれが課題を研究していく」
石坂友輔・教務主任は、堀川小学校の教師の研修体制について、こう説明する。教師の校内研修というと、ある学級の授業を題材に取り上げ、教員や教育委員会の指導担当者らが参加して、授業の課題設定や進め方について議論することが一般的なように考えていたが、堀川小学校はだいぶ様子が違うらしい。
「教師の研修は子どもたちの追究とすごく似ている。子どもたちは一人一人がそれぞれ違った見方や考え方を持っている。私たち教師も一人一人ばらばら。ライフステージが違っていて、主任もいれば副主任もいて、若手もベテランもいる。教科が違う人もいる。それぞれの目当てが違って、思いが違う」
子どもたちの学びが「ひとり学習」と「集団過程」を往還しながら、それぞれの「個」の問題を追究する「個発個着」であるように、堀川小学校では、教師の学びもそれぞれの教師が自分の問題を追究する。そうした研修体制は、長い経験の積み重ねから、1年間のサイクルで整えられている。5月末から6月にかけて今回取材した教育研究実践発表会が行われ、数百人から1000人ぐらいの外部参加者が集まる。9月には富山大学の教員養成課程で学ぶ学生たちによる教育実習が行われ、10月後半から翌年にかけて中間研究が行われる。
「教師たちは普段からそれぞれに問題意識を持ち、それを追究しながら子どもたちの指導に当たっている。これは子どもたちの学びで言うと、『ひとり学習』になる。それに対して、中間研究は『集団過程』に当たる。それぞれの教師が考えてきたものを持って集まり、一つの授業についてみんなで議論する。それが中間研究になる」
この中間研究が堀川小学校の研修体制の大きな特色になっている。
石坂主任によると、中間研究は2つの研究部会をベースに授業研究を進めていく。中間研究で取り上げる授業は、一時限の授業を指しているのではなく、単元の開発から提示、子どもたちが『ひとり学習』を進め、聞き合いによる『集団過程』を経て、さらに追究を深めていくという、数時限から10数時限に及ぶ一つの単元の授業全体を意味している。
「一つの研究部会で、授業者になる教師は一人だけ。例えば、私が中間研究の授業者になったら、単元の開発から『ひとり学習』と『集団過程』の往還、その先に続く子どもの追究まで、3カ月から4カ月かけて、その研究部会に所属する10数人の教師たちに寄ってたかって、私の授業の全部を見られる。教師たちは『こうしたらいい』『ああしたらいい』などと言いながら、私の授業を良くするための話をしてくれる」
私は中間研究の現場を取材した経験はないが、石坂主任の説明を聞くと、教師にとっては自分の授業を丸裸にされるような印象を受けた。しかも、この中間研究でも、教師に問われるのは、一人一人の子どもに対する理解である。指導案作りと同じで、授業のトピックや全体的な運営が問われるのではなく、授業者となった教師の「子ども理解」について徹底的な議論が行われるという。堀川小学校の教師の研修は、子どもたちの学びと同じく、一人一人の教師にとって個別最適な学びの機会になっている。
「研究部会に所属する教師は、研究対象となった授業を見ながらさまざまな事実や子どもの資料を集め、『この発言から、こんな発言になっている。この子の中でこういうことが起きていると言えるのではないか』と議論を重ね、授業の中で起きている子どもの学びや、成長の可能性について吟味していく。最終的にはその学びを10ページ程度の資料にする。そして、それぞれの解釈が正しいかどうかをお互いに戦わせ、子ども理解を深めていくのが『集団過程』としての中間研究だ」
具体的なイメージを聞くと、授業の発話記録を取り、授業を見ている教師たちがみんなで「この子はこのような成長が見られるのではないか」と議論を重ね、子どもが育っていくストーリーを作っていく。それぞれの教師が作成した資料をお互いに読み合い、朝活動やくらしの時間など授業以外でのその子の行動や発言なども踏まえながら、「あの子の発言はこんなことを言いたかったんじゃないの?」「この発言、こういう行動と合っていないよ」と意見を戦わせ、子ども一人一人に対する理解の精度を上げていくという。
「子ども理解」に焦点を当てた堀川小学校の研修を通じて、教師はどのようなことを学ぶのだろうか。
「子どもの世界に広がっているものに近づくために、私たちは教師同士でお互いの見方や考え方を聞き合いながら、子どもを捉えようとしていく。そうすると、『分からないことが、こんなにいっぱいあるのか』と思わされることになるので、私たちは子どもに対して、すごく謙虚になれる。子どもの世界に触れて、『もっともっと子どもを知りたい』と思えてくる」
石坂主任は、前回紹介した堀川小学校での勤務経験のある校長と同じように、子どもへの理解が深まることが教師のモチベーションや成長にもつながると説明した。
「それが『集団過程』としての中間研究の大事なところだと思っている。いろいろな教師の知見や捉え方を聞くことで、再び自分なりの課題に返していく。自分を太らせて、次に向かっていく。『他』を経験しながら、自己を見つめていくという意味で、教師の学びも子どもの学びと同じ。堀川小学校は、教師も子どもも同じようなことをやっている学校だと思う」
教師の学びや成長も、子どもの学びと同じように徹底して「個」がベースになっている。それが堀川小学校の研修体制となっていることが理解できた。
堀川小学校の教育課程や教師の研修体制は、富山市の各小学校や富山市教育委員会、地域の教員養成を担う富山大学、さらには保護者で構成する「有成会」との強固な連携に支えられていることも見逃せない。
私が取材した5月31日と6月1日の教育研究実践発表会では、各学級と特別支援級を合わせて21学級の授業が公開され、11の教科・領域に分かれて研究協議が行われた。全ての研究協議で、各教科を専門とする各小学校の教頭や市教委の指導主事らが指導助言者となり、授業記録などを助ける協力者として各小学校の教諭が参加、さらに富山大学に所属する各教科の研究者も指導助言者として加わっていた。
教育研究実践発表会は堀川小学校でかつて鍛錬を積んだ教師たちが一堂に集まり、現役の教師たちに「集団過程」の機会を作っているような印象もある。例えば、これまでの記事で取り上げた2年1組の犀川かい教諭と5年1組の馬場剛教諭による研究協議では、それぞれ堀川小学校での勤務経験を持つ他の学校の教頭が指導助言者を務めていた。先輩教師たちは勤務校が変わっても年に一度、堀川小学校の教育研究実践発表会に参加し、現役の教師たちと気持ちを一つにして『子ども理解』を深めようとしているように見えた。
堀川小学校の教育課程は、「子どもの言い分を素直に聞き入れることから学習指導を始める」とした重松鷹泰(1908-95年)の指導法の存在感が大きいとはいえ、先輩教師から後進にバトンタッチが繰り返される中で、他者との聞き合いで自己の追究を深める「くらしの時間」を加えるなど、何十年もの時間をかけて完成度を高めてきた。その成果は、子どもたち一人一人による「ひとり学習」と「集団過程」の往還を通じた「個」の追究であり、そうした全人的な教育を支える教師の徹底した「子ども理解」となって現在も受け継がれている。
中教審答申が描く「『個別最適な学び』と『協働的な学び』の一体的な充実」を先取りした堀川小学校の教育課程は、たくさんの教師たちの熱意と努力が長い年月をかけて積み重ねられた末に成立したものであることが、今回の取材でよく理解できた。
(終わり)