「何かの代理となりながら責任を持って行動する力」と捉えられるエージェンシーは、これまで社会学・文化人類学・心理学・教育学などの学問分野で広く議論され、洗練されてきた重要概念です。少しややこしい話になりますが、エージェンシーへの理解を深めるために、まずは社会学と教育学の視点からその学術的な議論をひも解いておきましょう。
社会学の主要論点の一つが、人間が集団として形づくる社会の「構造」と人間個々人の「主体」との関係です。社会学では長らく、人間は自ら作ったルールや規範、ジェンダー役割、社会階級、職業などの社会構造によって、活動が縛られる存在と見なされてきました。しかし、社会学の巨匠アンソニー・ギデンズが看破したことは、人間は社会構造の制約を受けるだけでなくつくり変えることができるということであり、その変革に向けた意図的な人間の行為としてエージェンシーが位置付けられました。また、人間の生活は社会構造だけでなく、自然の影響も強く受けます。そこで、自然との関係をより良く変革していく人間の意図的な行動も、エージェンシーと位置付けられます。
教育学では、ラテンアメリカの教育学者パウロ・フレイレと彼の意思を継いだ米国の批判的教育学者ヘンリー・ジルーが、エージェンシーと社会構造の関係に注目しています。フレイレは著作『被抑圧者の教育学』の中で、社会が「抑圧者」と「被抑圧者」の二項関係構造を生み出し、双方が不正や搾取や暴力などによって「非人間化」していく社会構造の問題を看破しました。そうした中、「非人間化」を押し進めていく社会を変革し、抑圧状況から人間を解放していく力としてエージェンシーが求められたのです。そして、フレイレが提起したのは、抑圧されている人間が現実状況を意識し、立ち止まって思考を始め、自らの抑圧された「声なき声」を対話の中で発していくことでした。このフレイレの提起を受けたジルーは、対話における「エージェンシーに向けた物語」が必要になると説きました。より良い変革に向けた意識的な行動を「声」に発することで、人間は自らの変革と解放の力であるエージェンシーに気付き、それを育むことが可能になるのです。
人間は誰もが自分の暮らす社会・世界をより良く変革し、自らを解放する力=エージェンシーを有しており、社会・世界の「代理として行動する責任」を持っているというわけです。