(鉄筆)負担(感)という単語

(鉄筆)負担(感)という単語
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 9月18日に発表された「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会論点整理」を読んでいて、「負担(感)」という単語が目に付いた。

 検索すると、「教育課程実施に伴う過度の負担」「学校現場の負担」など17箇所で使用されていた。ちなみに、2016年12月に発表された中教審「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」の本文中、教育課程や教員についての「負担」の記載は3箇所だった。

 学校の「働き方改革」や「教員の負担軽減」の必要性は当然のことだが、最近、このことを中心に学校教育が議論されているように思えてならない。中心に据えるのは、多様化する子供たち一人一人の学びの充実であり、ウェルビーイングの実現であり、部活動改革では生徒たちの活動の充実である。これらを踏まえた教育課程の編成、教職員などの配置、予算配当でなければならない。

 これからの学校教育の方向性を「本来求められる学校教育―(教員の負担軽減+緊縮予算)」とするのであれば、現在、世界のトップレベルにある学力の低下や国際的にも高く評価されている知・徳・体にわたる全人的な教育の脆弱化、教員の資質や能力などの低下につながりかねない。わが国の発展を支えるのは今の子供たちであり、子供の将来の明るい未来を保障するのは大人の責務である。

 「教育は百年の計」である。学校教育に対する投資が将来のわが国の発展、国民の幸福につながることを再確認したい。

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