先日、小学校で授業を参観した。2年生の教室では、若手の教師がある児童に質問したところ、「先生、何を答えればいいの?」とその児童は困惑気味だった。教師の声は小さく、発問も明確ではなかった。
4年生の教室からは、廊下まで児童の活発に発言する声が聞こえていたが、入室して発言しているのは一部の児童だけということが分かった。ある児童が、的を射たことをつぶやいたが、中堅の教師は、その声を取り上げなかった。一人一人の児童の発言やつぶやきを大切にするという授業ではなかった。
6年生の教室に入ろうとすると2人の児童が廊下に座り込んでいる。「どうしたの?」と声を掛けると「自主的に、教室から出てきました」と言う。同行していた副校長先生が2人を教室に戻したが、ベテランの教師は2人に声も掛けず授業を続けていた。授業以前の児童理解を踏まえた丁寧な指導がなされていなかった。
今、多くの学校が、主体的・対話的で深い学びの視点やICTの活用を重視した授業改善に取り組んでいる。今回、授業を参観して考えてしまった。教師の経験や力量に違いはある。しかし、教師は絶えず自らの指導を振り返り、改善を続けていかなければ、多様化している子どもたちに確かな学力や豊かな人間性を育んでいくことはできない。
時代や子どもの変化に応じた「流行」の教育が求められるのは当然である。それを実現させるためには、教師としての基礎・基本である「不易」の部分が不可欠である。このような時だからこそ、凡事徹底を忘れてはならない。