フランスの国は「学校でのいじめ」を犯罪とし、加害者を司法で裁いて罰する。教育新聞の読者の方々には、この事実をご存じの方も多いだろう。
2022年3月に施行された法律により、学校内でのいじめは「学校での執拗(しつよう)な攻撃 Harcèlement scolaire」の名称の元、刑法222-33-2-3で規定される違法行為となった。その内容は昨年公開された中岡望氏の記事(「100%の予防、発見、対応」 フランス政府のいじめ対策)に詳しい。
筆者は09年と12年に生まれた2人の子を、フランスの公教育制度で育てている。「学校での執拗な攻撃」が違法行為となった前後、つまりいじめが犯罪でない社会と、犯罪である社会の両方で、わが子らは学校生活を送ってきた。
フランスで学校でのいじめに対する社会的な潮流が変わったのは、2010年代。そこから問題の認識と対策の必要性が全社会的により強く共有され、22年に違法行為化するまでの過程を、筆者は保護者として経験している。
今回は保護者の立場から見えてくるもの、感じることを添えて、いじめを犯罪とするフランス社会の様相をお伝えしたい。
フランスでは行政やメディアが社会問題を語るときに、必ずその歴史を参照する。筆者もそれに倣って、まず歴史的経緯に軽く触れよう。
「学校での執拗な攻撃」に関しては、公共ラジオ局「ラジオフランス」が多く番組を作っている。
学校での暴力には、「教師から児童生徒」「児童生徒から教師」「児童生徒から児童生徒」の3つの形がある。このうちフランスでは長年、「児童生徒から教師への反抗」が特に問題視されてきた。日本において1980年代、家庭内暴力が社会問題となったとき、「子から親への暴力」のみを指してきたこととの類似性を感じさせる。「教師から児童生徒への体罰」は19世紀初頭に公的には禁止されたが、教育現場では、その慣習は80年代にも続いていたと、当時小中学生だった人々は言う。
そして児童生徒間の暴力、それが執拗に繰り返されるいじめは、多くが「子ども同士のいさかい」と軽視して処理されてきた。被害が大きくなっても、学校責任者が隠蔽(いんぺい)するケースもあった。
ずっと存在しながら見過ごされてきた生徒間の暴力が、フランスで公共政策の概念として捉えられたのは、1970年代。ノルウェーの心理学者ダン・オルヴェウスが「学校内での特殊な形の暴力」として提唱した定義が、フランスでもコンセンサスを得た。
「児童生徒がいじめの被害者となるのは、1人または複数の児童生徒から、危害を加えたり、傷つけたり、困難な状況に陥れることを目的とした攻撃的な行動を、長期にわたって繰り返し受けた場合である。これは意図的に攻撃的な状況を作り出し、心理的な従属関係を生み出すもので、頻繁に繰り返される」(ロレーヌ大学講師べランジェール・スタッサンの論考より)
その後1990年代から国としていくつかの対応策が講じられたが、「どれも場当たり的・継続性のないものだった」と、いじめを専門とする社会教育学者エリック・デバルビューは指摘している。
潮目が変わったのは、2010年代。インターネットの普及とソーシャルメディアの登場により、子どもたちは学校外のサイバー空間にも場を共有するようになった。保護者や教員の目につきにくいその場での攻撃は質・量ともにエスカレートし、大人たちの想像を絶する苛烈さで、被害者を傷つけ追い詰めていたのだ。
2010年代はパソコン以外にスマートフォンやタブレットが一気に普及し、パリ郊外に住んでいた筆者の周辺でも、デジタルデバイスが「成人のビジネスツール」から「家族の生活必需品」に変遷していった。
増えるデバイスとともに増幅するインターネットの仮想密室空間は、大人が介入しにくい。悲しい事件とともにそこでの攻撃の実態が明らかになり、フランス社会の問題意識を強烈に目覚めさせた。2011年、国民教育省は初の「学校でのハラスメント(執拗な攻撃)」の全国調査を実施。小学生の10%が繰り返し攻撃を受け、5%は「ひどい攻撃・もしくはかなりひどい攻撃」を受けている状況が明らかになった。
この報告書を機に、フランス政府は「学校での執拗な攻撃」への対策を強化。12年から科学班による6年間の実証研究を開始し、15年には11月7日を「学校での執拗な攻撃と戦う日」と制定し、以来毎年、全国の幼稚園~高校で特別授業や講演、イベントを通じた啓発活動を行っている。
そして22年、「学校での執拗な攻撃」が違法行為として定められ、刑罰とともにフランス刑法典へと記載された。
このフランス社会の認識の変化を、筆者は身近に経験し、記憶している。まさに2010年代の初め頃、筆者は幼稚園児の保護者で、「執拗な攻撃」につながりかねない加害の芽が摘まれた現場に立ち会った。当時は被害者保護は当然のこと、「加害児童はケアが必要な存在」として、まず精神科への受診を勧められた。
そして2010年代の後半には、小学校や小児科、児童センターに、低年齢児童のデジタル画面の使用に関する注意喚起のポスターなどが見られるようになった。
2020年に入った直後のコロナ禍ではアジア系住人への差別が激化し、筆者の子も小学校で、差別言動を浴びせられる事態になった。学校に訴えると保護者面談の後、加害児童への注意と被害児童の保護・見守り、クラスでの啓発などの対策が採られたが、加害児童への個別ケアや罰は、筆者の知る限りなかった。
同じ頃に中学校に進学した子の周辺では、やはり暴力的な言動があった。幸いにして教員チームは、問題が起こるとすぐに注意・保護・見守りの対策を採っていたが、加害行動を取る生徒と同じ学校に通い続ける以上、ある日を境に問題が霧消するということはない。保護者としてはその後も「いつ何時、暴力的な言動が再燃するか」「それを私や教員は把握できるのか」と不安が募り続けた。
学校側の空気と対応が変わった、と明らかに感じたのは、22年の刑法改正、それに続く23年の「校長判断による、加害生徒の転校を可能にする」法律の施行だった。わが子の通う中学校でも同じ頃、問題行動のあった生徒が転校した。生徒や保護者の参加する「学級評議会」で、その生徒の行動が議論されたとの議事録を読んだ後だった。
刑法改正と同じ22年、国民教育省は「学校での執拗な暴力」への対応プロトコルを定めている。pHAReと名付けられたその対策については、国が運営するいじめ通報ダイヤルの運用とともに、次回詳しく紹介したい。
【プロフィール】
髙崎順子(たかさき・じゅんこ) 1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。東京大学文学部を卒業後、出版社で雑誌編集者として勤務したのち2000年に渡仏。フランスの社会と文化について幅広い題材で取材・執筆を行う。得意分野は子育て環境、食文化、観光など。日本の各種メディアをはじめ、行政や民間企業における日仏間の視察・交流事業にも携わっている。自治体や教育機関、企業での講演歴多数。主な著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮新書、2016年)、『休暇のマネジメント 28連休を実現するための仕組みと働き方』(KADOKAWA、2023年)など。