カンボジアでは、問題の流出やカンニングペーパーの売買など、試験を巡るさまざまな不正行為が横行してきた。政府は汚職撲滅の象徴として不正対策に取り組んでいる。不正撲滅はカンボジアの学校に巣くう「影の制度」を破壊し、生徒たちが学ぶ意味を取り戻す戦いでもある。
カンボジアでは、高校卒業試験(全国後期中等教育修了試験、BacII)がとりわけ大きな意味を持つ。高校の卒業認定だけでなく、大学進学や奨学金の選抜にも関わるためだ。また、試験の合格率が教育制度全体の質と結び付けて報じられることから、教育省にとっても大きなプレッシャーがかかる。10月から11月にかけての試験シーズンになると、ほほ笑みの国カンボジアにもピリついた空気が流れる。
高校卒業試験は「汚職との戦い」としても注目を集める。試験中のカンニング行為はもちろん、試験にかかわる贈収賄、問題の流出、カンニングペーパーの売買などが黙認され、この試験が公正に実施できていないことは誰もが知るところで、批判が高まっていた。
ナロン氏が2013年に教育大臣に就任して以降、改革の目玉として取り組んできたのが高校卒業試験の不正撲滅である。「汚職との戦い」を掲げる政府にとって、公正な試験はクリーンな政府を印象付ける上でも重要視されたのである。ナロン大臣の主導により、政府の反汚職部門が厳しく取り締まって実施された14年の試験では、それまで80%程度あった合格率が一気に25%に下がり、大混乱と大論争を引き起こした。
この騒動で明るみに出たのが、カンボジアの教育に巣くってきた「影の制度」である。贈収賄や不正な金銭の徴収などの不正は、試験だけでなく、日常の学校生活の隅々にまで浸透している。
ある高校では、生徒が欠席しても、1回1ドルを支払えば出席したことにでき、教師が欠勤した時も校長にいくらかを払えば帳消しにしている実態があった。月例テストの回答用紙は1枚500リエル(約19円)で売られ、模範解答は学校横の印刷屋で買えるという状況で、教師も生徒も学校も、そうした「影の制度」をうまく活用して成り立っていた。さらに、教師たちが有料で追加授業を行い、発展的な内容や試験対策はそこでしか扱わないといった「影の教育(shadow education)」もある。
土地を売ったり借金を背負ったりしてまで、子どもに追加授業を受けさせる親もいるほどだ。こうしたことから、カンボジアでは教育費の私的負担が非常に高いことが指摘されている。「影の制度」は教員給与や予算の不足を補う役割を果たしていて、「仕方ないもの」として黙認されてきた。
「影の制度」の問題は、生徒の能力や努力とは無関係に、出自によって教育機会と結果に差が出ることにある。成功したければ不公正な仕組みを利用するほかないことを、子どもに知らしめるという点でも罪深い。子どもたちは当然、学ぶ意味や意欲を見いだせなくなり、学校は単なる再生産の装置に成り下がってしまう。結果として、何をなぜ学ぶのかを実感できないまま、十分な知識やスキルを身に付けることなく学校を離れ、社会に出ていく子どもと若者が多数を占めることになる。実際、産業界からも、学校教育が質の高い労働力を供給できていないことに対して厳しい批判が展開されてきた。
近年では、汚職や不公正に対する社会の眼差しが厳しくなっていることや、不正行為がまん延する公立校を嫌って最富裕層が私立学校に流出していることなどから、教育の公正性への関心が高まっている。こうした社会的な要請を背景として、教育省は、教員の待遇改善をはじめ、カリキュラム改革、教員養成改革、モデル校の設置などの多岐にわたる改革を断行してきた。学校内での金銭の徴収に対しても、明確に違法であることが周知され、教師の職業倫理スタンダードも設定された。
24年の高校卒業試験は、反汚職部門の職員や教員志望の学生など約5000人が監視員として配置され、厳戒態勢の中で実施された。結果、合格率は79%と14年以降で最高となった。
試験が公正に実施されるのは望ましい変化である一方、懸念されるのが受験競争の過熱だ。大学進学率が上昇し、国内トップ大学への入学がますます難しくなる中で、私立学校が台頭している。受験予備校や塾などの教育産業も生まれてきている。このまま教育の私事化が進めば、結果的に教育は再生産を助長し、すでにある格差を拡大させる方向に進んでいくことが危惧される。公共的な教育の価値を高め、「影の制度」に頼らずに教育の質を高めるという難しい挑戦が続く。
※比較教育研究会は世界各地の教育現場をフィールドにする教育学者のグループです。地域研究に根差した日本の比較教育学の強みを生かして、現地の教育実践や人々の暮らしを多角的に見つめています。本連載は林寛平(信州大学)、佐藤仁(福岡大学)、荻巣崇世(東京大学)、黒川智恵美(上智大学)、能丸恵理子(ライター)が担当しています。