「社会と学校教育のねじれを直す」 元花王の民間人校長が挑む教育改革

「社会と学校教育のねじれを直す」 元花王の民間人校長が挑む教育改革
探究学習を通じたアントレプレナーシップの育成に挑む生井校長=撮影:松井聡美
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​ かつて大手企業・花王でDX戦略推進センター部長を務め、順風満帆なビジネスキャリアを歩んできた生井秀一氏が、学校教育の世界へとキャリアチェンジし、2024年度に茨城県立下妻第一高校・附属中学校の校長に就任した。6月には『13歳からのアントレプレナーシップ』(かんき出版)を刊行。生井氏は、現代社会が求める人材像と、学校教育との間に生じている「ねじれ」を解消するという使命感を持ち、探究学習を通じたアントレプレナーシップ教育を柱とした学校改革に挑んでいる。

社会が求める人材像と学校教育とのねじれを解消する

 生井氏の転身は、花王での部長職就任がきっかけとなった。「改めて周囲の人のすごさに気付き、学び直さなければならないと感じた」と語る生井氏は、早稲田大学ビジネススクールに入学。そこで恩師の助言を受け、自身の市場価値を測るため転職サイトに登録した。

 当初、転職の意思はなかった。しかし、さまざまな企業から届くオファーの中で、「アントレプレナーシップを教えられる校長募集」という茨城県の民間人校長の公募が目に留まった。「自分が呼ばれているような気がした」という直感を信じ、応募を決意したという。

 また、花王ではキャリア採用の面接を担当することもあった。その際に、生井氏は「デジタル人材の圧倒的な不足」や、「認知能力は高いが、社会が真に求める非認知能力が足りていない」という、学校教育と社会の間にあるギャップに課題を感じていた。「社会が求める人材像と、学校教育とのねじれを直す必要がある」との思いも、民間人校長へのチャレンジを後押しした。

 最終面接まで進む過程では、これまでの世界とは全く異なる学校現場への不安もよぎった。しかし、「脳科学的にも“やらない後悔”は一生残る」というビジネススクールの恩師の言葉と、花王時代の同僚たちの応援が、覚悟を固めさせた。

 結果、1600人超の応募者からわずか3人の合格者の1人として、下妻第一高校・附属中学校の校長に任命された。

プッシュ型の授業では、多様な子どもたちに届かない

 23年度の副校長を経て、24年度から正式に校長に就任した生井氏。民間企業から転身した生井氏には、学校現場はどのように映っているのか。

 例えば、授業については「いわゆるテレビCMのようなプッシュ型だと感じた」と語る。

 「ユーザー側の需要や意志に関係なく配信されるプッシュ型広告のやり方では、もう物は売れない時代。それは、学校の授業も同じではないか。これだけ子どもたちが多様になってきているのに、1人の先生が1クラス40人の生徒に向けて一斉授業をするのでは、届かない」

 AIが台頭する時代に、いまだに「答えがあるものを、時間内に、できるだけたくさん解く」ことの比率が高い学校教育にも、危機感を抱いている。

 また、進学校である同校の生徒たちが、進路選択の幅が狭く、安定を求める傾向が強いことも気になった。「世の中には多様な職業や働き方があるのに、生徒たちは具体的なイメージがついていない。勉強が将来にどうつながるのかを実感できるようにしたい」と、意欲を示す。

 その実践として、現在、同校では楽天やLINEヤフーの社員がリモートワークを行うなど、企業との連携を強化。企業ツアーや協働での探究プログラムなども通じて、生徒たちが多様な大人や仕事、働き方に触れる機会を意図的に増やしている。

アントレプレナーシップは全員に必要な力

「アントレプレナーシップはこれからの時代を生きる全員に必要な力」と語る=撮影:松井聡美
​「アントレプレナーシップはこれからの時代を生きる全員に必要な力」と語る=撮影:松井聡美

 生井氏が改革の柱に据えるのは、「探究学習を通じたアントレプレナーシップ教育」だ。

 「アントレプレナーシップ」と聞くと「起業家精神」と訳され、起業を目指す人にのみ必要な力だと誤解されがちだと、生井氏は指摘する。「そうではなく、起業家はもちろん、組織で働くあらゆる人、そしてこれからの時代を生きる全員に必要な力だ」と強調する。

 生井氏はアントレプレナーシップを「逆境に負けずに立ち向かう力」と定義し、その対象を「0から1を生み出す起業家」「既存事業を継承し、変化に適応しながら新たな価値を創造する事業継承者」「組織の中でその資産を使いながら新しい価値を創出する人」の3つに分類する。

 花王時代にDX部門を立ち上げるなど、自らも新たな道を切り開いてきた経験から、「培ってきたスキルは、異なる立場や業界でも通用する」と確信している。

 また、特に現代の子どもたちに不足しているアントレプレナーシップの要素として「着眼点」を挙げる。「良い着眼点を持つには日頃からの情報収集が不可欠なのに、今の学校は知識の詰め込みで疲弊し、アンテナを張る時間がない」と指摘する。

「AI先生」プロジェクトを進行させながら未来の先生像を描く

 校長就任直後、生井氏は教職員に3カ年の経営計画を提示した。「バックキャスト的に計画を示した。新しいことをやりつつも、それが新しく見えないよう、ゆっくり、確実に変えていきたい」と語る。

 今後について「アントレプレナーシップ教育や、個別最適な学びなど新しい挑戦をする『知の探索』と、行事や部活動などを通じた非認知能力の向上など、従来の活動を生かした『知の深化』の両方が必要だと思っている」と考えを示す。

 また、教員の意識変革の重要性も感じている。「教員が変わらなければ、学校教育は絶対に変わらない。生徒だけでなく、教員も非認知能力を高める必要がある」と強調し、今夏には自ら企画した独自の教員研修を開催する予定だ。

 校務分掌においても、年齢や経験にとらわれず「やりたい人がやる」体制へ移行。探究部の主任には最年少の教員を抜擢するなど、新しい風を吹き込んでいる。

 さらに、元マイクロソフトの社員が起業した会社と協力し、最終的には「AI先生」の開発へという新たなプロジェクトも進行中だ。まずは物理の授業動画をアプリに入れ、生徒がどこでつまずいているかをデータで把握し、的確な指導を行う仕組みを構築している。「このプロジェクトが実現すれば、教員は生徒をメンタル面も含めて支援する、メンター的な役割に変わっていくのではないか」と、未来の教員像を描いている。

 約130年の歴史がある公立の伝統校を変えていくのは難しいことだが、少しずつ外の風を入れ、変化の兆しが見えてきている。「学校は、同じ志を持つ人を探したり、自分の志を実現するための仲間づくりをしたりする場ではないだろうか。社会に出ると、そうした緩いつながりを持っている人の方が、活躍の場が広がることを実感している」と、生井氏は語る。

 「今までの学校の良いところを生かしつつ、これからの社会に本当に必要な教育を実践していきたい」――。生井校長の挑戦は、これからも続いていく。

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