1971年に制定された給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)。教職調整額が4%である根拠は、当時の平均時間外勤務が月約8時間であったことによる。現状の勤務実態に合わせれば調整額は20%になってもおかしくない。50年以上この調整額が変わっていないことがやっと問題視されるようになった。この間、改正の議論はあったものの、抜本的な見直しが図られなかったことは、行政の不作為として問われるべきである。
給特法の抜本的な見直しは、変形労働時間制を導入した2019年の給特法改正や小学校の35人学級を実現した21年の義務標準法改正の時に衆参両院で附帯決議が行われており、現在進行中の教員勤務実態調査結果に基づいて具体的な議論がなされることになる。永岡桂子文科相も8月の文科省「学校における働き方改革推進本部」の席上、給特法改正に向けた取り組みを加速させることを明言している。
給特法の見直しは既定路線であるが、結局、調整額を何%にするかという財務省との攻防が予想される。給特法を廃止して残業手当を支給するにしても、本給を減額するという裏技を使うだろう。「財源の保障がない」という常套句で不作為をなかったことにしてはならない。将来の日本を担う子どもたちの教育にお金をかけてこなかったことこそ問題にすべきである。子どもの数が減るのだから教員数も減らすべきという財務省の論理は、教育の軽視に他ならない。
埼玉超勤訴訟の第二審も棄却された。その内容は教員の労働を巡る規定が、実態に即しているとは言い難いことを示唆するものだった。授業準備は労働に当たらないという判断は、研究と修養を義務付けている教育公務員特例法(教特法)と矛盾するのではないか。教員の仕事の特殊性と多様性という言葉で片付けず、教員の仕事内容と処遇について議論を重ねることが必要だ。それがスタートラインであり、小手先の改革で終わってはならない。給特法の改正は、その趣旨を勤務実態に合わせるだけであり、改正によって教員の長時間勤務が解消されるものではない。
教員の長時間勤務による疲弊や健康への影響、そのことによる学校力の低下がさらに学校を多忙にするという悪循環を生んでいる。それが教員不足の原因となり、悪循環を加速させている。とはいえ給特法の改正は、この悪循環を断ち切るような抜本的解決策にはならない。
教員の勤務時間は7時間45分。登校から下校までの子どもたちと過ごす時間を7時間と想定すると、休憩時間を除けば会議や打ち合わせ、授業準備に充てられる時間は45分しかない。結局、勤務開始時刻前や休憩時間に仕事をし、放課後の会議や打ち合わせを終えてから授業準備や学級事務を始めることになる。さらに、中学校では部活動の指導が優先される。この働き方を変えなければ長時間勤務は解消されない。給特法を改正しても仕事は減らない。仕事が減らないのであれば人を増やすしかない。
学級担任制を基本とする小学校では授業の持ちコマ時数が多い。学級当たりの総授業時数の合計を教員数で割った文科省の試算では、6学級規模の学校では、一人当たり23.7コマ、12学級規模で24.6コマ、18学級規模で24.1コマとなっている。教員定数内で少人数学級を実現している地域ではさらに持ちコマ時数は増える。
担任にとって空き時間は貴重だ。授業準備や学級事務、保護者への連絡など、あっという間に時間は過ぎていく。しかし、教員不足や子どもたちのさまざまな課題は、この貴重な時間も奪っている。休んでいる教員の補教(自習監督、補填)に入ったり、支援が必要な子どもたちの対応をしたり、管理職も含めて全校体制での綱渡り状態が続いている。
教員の持ちコマ時数が20コマになれば、1日当たり1時間から2時間の空き時間が生まれる。この空き時間を調整して会議や打ち合わせを行うことも可能となり、長時間勤務の解消につながるはずだ。
小学校における英語専科や高学年の教科担任制の導入の背景には、持ちコマ時数の削減という狙いもある。今夏の概算要求では、「小学校高学年における教科担任制の推進」として、950人増の要求をしている。2022年度から4年程度をかけ、最終的に3800人程度の改善を見込んでいるが、公立小学校の数は約1万9000校、この恩恵を受けられる学校は少ない。一方で定数改善に見合う人材を確保できるのかという問題も生ずる。
だからこそ、給特法の改正による処遇改善が必要なのだ。見える形で改善が進めば教員を志望する若者が増えるだろう。教育界の悪循環を断ち切るためには、給特法改正と実質的な定数改善をセットで進めることが必要だ。