本紙電子版11月22日付で報じられているように、中教審の教育振興基本計画部会では、次期教育振興基本計画(2023~27年度)の策定作業が進められており、「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が全体に関わる項目として重視される見通しとなっている。
教育振興基本計画は、教育基本法第17条第1項で定められた政府の教育振興に関する施策の基本的な計画であり、5年の期間ごとに策定される。現在策定作業が進められているのは来年度から始まる第4期の計画であり、諮問文では2040年以降の社会が「望む未来を私たち自身で示し、作り上げていくことが求められる時代」とされ、「超スマート社会(Society5.0)」を念頭に置き、「ウェルビーイング」の観点も踏まえることが求められている。ここでウェルビーイングは、「一人一人の多様な幸せであるとともに社会全体の幸せでもある」と説明されている。
ウェルビーイングという考え方は、OECDが11年以降、「より良い暮らし指標」(Better Life Index)で取り上げてきたものであり、幸福度の指標をGDPのような単一の指標で捉えることの批判から、開発されたものである。
OECDの「より良い暮らし指標」では、「現在のウェルビーイング」として、以下の11項目が挙げられている。
OECDが19年に定めた「ラーニング・コンパス2030」は、個人のウェルビーイングと集団的ウェルビーイングに向けた教育の方向性を示すものとされており、エージェンシー(Agency)という概念と関連付けられている。すなわち、「ラーニング・コンパス」という考え方は生徒が教師から決まった指示や命令を受けるのでなく、自らが目的意識と責任感をもって航海するという「生徒エージェンシー」(Student Agency)を発揮しつつ、社会的な文脈の中でさまざまな人と関わることを通してウェルビーイングへと向かう「共同エージェンシー」(Co-Agency)をも発揮されるとしている。
こうしたOECDの考え方は、社会が不確実性を増す中で子どもたちが多様であることを前提に、さまざまな人々と関わりながら自分なりのウェルビーイングを目指していくことが重要だとするものであり、一人一人が自らのウェルビーイングを目指すことが集団的なウェルビーイングにもつながるというものである。
OECDにおけるウェルビーイングに関する議論をこのように捉えると、日本の教育振興基本計画策定におけるウェルビーイングに関する議論が不適切になっているのではないかと心配になる。
まず、ウェルビーイングが「一人一人の多様な幸せであるとともに社会全体の幸せでもある」とされているのだが、OECDでウェルビーイングは第一義的には個人のより良い暮らしの指標とされており、個人のウェルビーイングが社会のウェルビーイングより優先して考えられていたはずである。ともすると、「社会全体の幸せ」という単一の在り方に個人の多様なウェルビーイングが吸収されてしまうような誤解を招かないだろうか。
しかも、中教審部会で11月22日に出された「概念整理検討のためのイメージ図」(参考・本紙電子版11月22日付)では、学習者のエージェンシーは強調されておらず、「主体的社会形成」は「規範意識」と同じ枠で示されている程度であり、強調されているのは「共生社会の実現に向けた教育」である。これでは、個人のエージェンシーやウェルビーイングが軽視されているようにしか見えない。
次に、「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」がうたわれ、「自尊感情や自己効力感などの獲得的幸福のみならず、人とのつながりや思いやり、利他性、社会貢献意識などの協調的幸福とのバランス」が掲げられていることである。一時は「日本型ウェルビーイング」が検討されていたことを思えば、審議の中でトーンダウンすることになったとは言えるが、そもそもOECDのウェルビーイングが多様な価値観に対応しているもののはずであるのに、「協調的幸福」を強調する必要があるのだろうか。OECDの指標にも「社会的つながり」は含まれており、「協調的幸福」をあえて強調する必要があるとは考えにくい。
今回、日本独自の「協調的幸福」が強調されるようになった背景には、部会委員である内田由紀子京都大学教授の文化心理学に関する議論の影響が大きい(参考・本紙電子版7月12日付)。幸福感が文化によって異なることを明らかにしている内田教授の研究は意義深いものと推察されるが、教育振興基本計画策定にどのように取り入れるかについては、当然ながら慎重な検討が必要であったはずだ。
内田教授が明らかにしているように、日本では北米などと異なり、自分だけでなく身近な周りの人も楽しい、大切な人を幸せにしている、平凡だが安定しているといった「協調的幸福」が幸せだと感じられる傾向があるというのは、その通りであろう。
だが、文化心理学が明らかにしているのはあくまでも実情であり、今後どうあるべきかとは区別が必要だ。「協調的幸福」が幸福とされる傾向があったこれまでの日本は、ジェンダーギャップ指数が先進国最低レベルであり、性的少数者の権利保障も遅れているなど、「協調」の名の下で誰かに犠牲を強いる社会であったと考えることも必要である。これまで日本で主流だった幸福感に対して、文科省はもっと批判的であるべきだ。
「幸福」でなく「ウェルビーイング」という用語を計画の中核に据えるのであれば、ウェルビーイング概念を日本流にねじ曲げるのでなく、日本におけるこれまでの考え方を見直す姿勢で計画を検討する必要があるのではないだろうか。