どうする給特法 専門職に残業代はなじむのか(妹尾昌俊)

どうする給特法 専門職に残業代はなじむのか(妹尾昌俊)
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外国では残業代支給が多いわけではない

 給特法の見直しなどを含む教員の処遇の在り方やなり手不足の問題について、与野党内でも議論が行われているが、文科省では先日(12月20日)、有識者会議がスタートした(「質の高い教師の確保のための教職の魅力向上に向けた環境の在り方等に関する調査研究会」)。

 第1回目の会議で、藤原文雄委員(国立教育政策研究所初等中等教育研究部長)が発表した諸外国の動向は、特に興味深いものだった。下の一覧表のとおり、調査した先進国では、超過勤務が生じたときの処遇はさまざまである。韓国やドイツのように時間外勤務手当(残業代)を支給する制度となっている国もある一方で、追加業務に対する手当で対応する国もあるし、超過勤務に対して処遇しない国もある。なお、残業代が制度化されている韓国、ドイツであっても、実際の支給例は少ないようだ。

出所:文科省「質の高い教師の確保のための教職の魅力向上に向けた環境の在り方等に関する調査研究会」での藤原文雄委員発表資料

 もっとも、国によって、学校の業務(守備範囲)や教員の業務自体がかなり異なるので、一概に横並びで比較することは難しい。教員の業務の多くは授業であり、それ以外の仕事は限定的という国もかなりある(その結果、多くの場合、超過勤務自体が少ない)。一方で日本のように、一人一人の教員が教科指導のみならず、特別活動の指導・支援、カウンセラー的な役割、課外活動の指導、場合によっては保護者・家庭への支援など、非常に幅広い役割を担っている例は世界的にも珍しい。日本の中学校教員は世界一忙しい(OECD・TALIS2018参照)。

残業代ナシでは人材獲得上マイナス

 日本の教員の多くは、それだけたくさんの仕事をしているのに、価値を出しているのに、半世紀近く給特法の骨格は変わっておらず、十分な処遇がなされていないのはけしからん、という指摘は、まっとうだと思う。

 例えば、大学生のあるアルバイト募集で「17時までは給料が出ます。17時以降は無償ボランティアですけど、19時頃までやってもらいたいことがあります。お客さまのためにご協力をお願いします」というお店だったら、どうだろうか。いくらその仕事にやりがいや魅力があるとしても、なかなか人は集まらないのではないか。これと似たことが、いまの日本の教員採用では起きている可能性がある。

 「給特法は定額働かせ放題だ」という批判は強く、多くの学生や社会人も知るところとなった。給特法をよく読むほど、私としてはこの言い方には大いに異論もあるが、多くの小中高校の教員は8時前に出勤して朝に時間外もあるし、夜まで残業しているのだから、先ほどのアルバイトの例に近いのは事実だ。

専門職という点を重視するのか、しないのか

 以上のことを踏まえつつ、あらためて給特法の在り方を考えたい。国際比較から示唆されるのは、残業代を支給する制度が標準的に普及しているモデルというわけではないことだ。国によって制度はかなり多様だ。一方で、今の日本の制度のままでも問題であることは違いない。

 文科省の会議の中で気になったことがある。「イギリスでは教師は専門職なので、時間外勤務手当の制度は求めない」という趣旨の発言があった。現行の給特法の第一条の「教育職員の職務と勤務態様の特殊性」をどう解釈するかにも関わる課題だと思う。

 専門職という意味ないし教職の専門職性の意味については、多義的かもしれないが、労働基準法(労基法)が完全適用されたときのシーンを思い浮かべると、考えやすいと思う。「今日は保護者との電話連絡や事務作業などが立て込んで、勤務時間までに仕事が終わりそうにないな」。そういうときには校長(または教頭)に、あと2時間残業しますといった時間外勤務の申請を出して承諾をもらう。一般の地方公務員(行政職)ならこういうシーンに近いだろうし、私立学校や国立大附属学校でもこの例に近い学校はあろう。

 だが、教員の仕事の場合は、そう単純ではない。

 第1に、いちいち管理職にお伺いを立てないといけないような、自律性の低い仕事なのかどうかという論点を検討する必要がある。教員の仕事は、プロフェッショナルとして一定の自由度、裁量があり、しかも知的な労働ではないか、という視点を重視するならば、通常の労基法が想定しているような、時間外勤務手当の制度でいくのが妥当なのかどうかという疑問が湧く。

 もっとも、現実には日本の学校の多くでは、教員の仕事量が多過ぎて、押しつぶされていて、裁量どころではないという問題があることは承知している。そこは負担軽減策などで別途メスを入れつつ、制度の在り方としては、自律性や裁量ということを考える必要があるのではないか。

 あまり知られていないが、日本国内の似た制度として、裁判官や検察官にも時間外勤務手当は支給されない。これらも自律性が高い仕事だ。

 第2に、「これは時間外勤務として認められて、これは認められない」といった仕分けが管理職にも教員本人にも十分にできるのか、という論点である。先ほどのように、保護者との連絡や事務作業でどうしても残らないといけないという例なら、まだ分かりやすい。学校として必要な対応や業務であれば、当然時間外労働とするべきだろう。

 だが、教材研究・授業準備はどうか。丸付けや添削・コメント書きはどうか。子どもたちの絵を掲示するのはどうか。本当にそこまで必要なのかとか、能率的な仕事の進め方をしているのかといった疑問が、管理職サイドなどに浮かぶこともあろう。少し意地悪な言い方をすれば、手当も税金なのだから、納税者に説明できる、必要性の高い業務でなければならない。

 また、教材研究・授業準備と自己研さんは、必ずしもスッキリ区別できるものではない。例えば、英語科または社会科の教員が英字新聞を読んでいるとして、それは教材研究と言えるかもしれないし、自分の知識や視野を広げる自己研さんであり、労働ではない(家でやってくれ)、と言えるかもしれない。業務の一環で行う研修と、自己研さんの線引きも簡単ではない。ただし、現行の在校等時間の捉え方やモニタリングでも同じ問題はある。

 中教審答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して」(2021年1月)を持ち出すまでもないが、学び続ける教師像や子どもたち一人一人の学びの伴走者になっていく教師像が志向されている。これまで以上に教員の研修や自己研さんの重要性は高まっている。そうしたことと、給与制度、処遇はうまくフィット、整合する必要があろう。

 第3に、以上の論点とも関わるが、従事時間に応じた処遇という労基法の基本原則がなじむ仕事なのかどうかという疑問だ。例えば、授業準備を長くすればするほど、よい授業になるとは一概には言えない。部活動で長い時間指導することは、生徒の健康や生活時間の確保の点などからも望ましいとは言えないときがある。だが、給与上は高く処遇するのはいいのか。

 業務の必要性や指導時間を校長、教頭らがちゃんと見て指導・助言するから、そうした問題は生じない、という理屈は一応考えられるが、果たして現実的だろうか。細かいことに口を出す、マイクロマネジメントしたがる校長らが増える弊害だってあるし、校長、教頭らの多忙も一層加速するであろう。

 第4に、公立学校だけ特別扱いを続けるのかどうかという疑問である。前述のとおり、教職が専門職としてやや特殊なところはあるかもしれないが、公立学校だけに限定される話なのか。私立学校や国立大附属学校では給特法は適用外である。公立学校の教員が特殊なのは、災害時などの対応が地方公務員として求められることがあることや、教育公務員特例法のような特別法による要請がある点などであろう(なお、教育公務員特例法の第一条においても「教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務とその責任の特殊性に基づき」との規定がある)。

 繰り返すが、現行の制度も問題は多い。だが、単に残業代を出すようにすればよい、というシンプルな話でもないように思う。今回述べた以外の論点もあろうが、教職をどう捉えるのか、望ましい教師像に合う制度はどのようなものか、教員の働き方や校長らの役割としてどのようなことを期待するのかなども併せて検討する必要がある。

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