「異次元の少子化対策」を掲げる岸田文雄首相は2023年の年頭に3つの基本的方向性を示し、小倉将信こども政策担当相に3月末までに具体的なたたき台を取りまとめるように指示した。3つの基本的方向性には、児童手当を中心とする経済的支援の強化、幼児教育や保育サービスの強化や子育て家庭へのサービス拡充、出産と子育てを支える働き方改革の推進がうたわれている。子どもにお金を回すことは評価したいが、このままでは教育予算はあまり増えそうにない。GDPに対する公財政教育支出の割合がOECD諸国の中でもっとも低いとされる日本で、なぜ教育予算は増えないのか。子ども予算倍増を目指す岸田内閣の少子化対策を初等中等教育の充実につなげることはできないのか。結論を先に言えば、いきなり教員増を図ることは難しいかもしれないが、不登校対策を軸に学校現場のマンパワーを増やすチャンスなのではないかと考えている。
予算の使い方は「コスト(負担)」「アクセス」「クオリティー(質)」の3つの軸で考えると、よく分かる。初等中等教育と高等教育は事情が違うので、まず、なぜ初等中等教育の予算が増えないのかを考えてみたい
初等中等教育では、コストはゼロ。すでに無償の義務教育なので、これは言うまでもない。アクセスについても、一部に中山間地域の問題はあるものの、ほとんどの学校は歩いて通える距離にある。だから、コストとアクセスは問題ない。
そうなると、初等中等教育の課題というのは、クオリティーの問題になる。本来であれば人件費を増やし、多様な人材を多数雇って、その人材リソースを公正な個別最適化のために配置すればいい。要するに、教育サービスを必要としているところに手厚く振り向けていく。教育サービスの内容は「教育人材の質」×「ST比(児童生徒と教員の比率)」で決まるのだから、公正な個別最適化のために人件費を有効に活用し、児童生徒と教員のワン・オン・ワン(1対1)をどれだけ増やせるか、ということが課題になる。
ところが、こうした初等中等教育のクオリティーは、一般の人々には非常に分かりにくい。しかも、初等中等教育のクオリティーを上げてほしいと思っている保護者の多くは、すでに自分の子どもたちには塾や予備校などの民間教育を提供している。つまり、初等中等教育の質に関心がある保護者は、とっくに自助をしている。
そうなってしまうと、初等中等教育のクオリティーという課題は、塾などの民間教育にアクセスできない層に対する質の問題、あるいは特別支援の問題になる。これでは、初等中等教育のクオリティーを向上させるために投資が必要だということが、有権者やそれを伝えるメディアも含めて、なかなか理解してもらいづらい。質の高い公教育が必要なはずの低所得者、つまり経済的な負担から塾に行けない子どもの保護者は、有権者として初等中等教育のクオリティーにあまり関心がない。毎日の暮らしに追われていて、子どもの教育にまで関心が及ばないと言ってもいい。
こうやって考えてみると、教育のクオリティー向上に関する政策を訴えても、いまの議会制民主主義あるいはポピュリズムを前提にすると、票にならないということが分かる。
それに対して、コストとアクセスの課題は、誰にでも分かりやすい。コストは、負担しなければならない金額が数字で明示される。アクセスはアクセスできるかできないかであって、極めてクリアに分かる。つまり、児童手当は負担軽減というコストの問題なので、非常に分かりやすい。保育園の待機児童はアクセスの問題だから、これも分かりやすい。だから、議会制民主主義の下では、票になる。
さらに言えば、児童手当は、子どものための手当は、実際には保護者の懐に入る。だから、保護者にとっては、自分ごとになる。これは教育の質に関心のある保護者だけでなく、普段は余裕がなくて子どもの教育にまで関心が及ばない人たちに対しても、第2の生活支援として確実にお金が入ってくる。子育てにお金がかかることは確かなので必要な支援ではあるけれども、そのお金が子どもに直接いくのではなく、子どもを持った大人に対するお金の支援が児童手当になる。有権者である大人にお金が配られるのだから、当然、票になる。
こうした性格を持つ児童手当の拡充が少子化対策の中心となった背景には、与党が熱心だという事情もある。
まとめれば、児童手当の拡充は、要するに、票になる。票になるから、政策として予算化が進む。一方、初等中等教育のクオリティーの問題は有権者には分かりにくいし、強い支持も得られず、票になりにくい。だから、初等中等教育の予算はなかなか増えない、という構造になっている。
教育関連でも、高等教育については、コストとアクセスの課題がまだ残されている。コストについては、さらなる負担軽減が必要。高等教育の修学支援新制度は、低所得者層の大学進学に大きな成果を上げているが、まだまだ所得制限が厳し過ぎる。高等学校等就学支援金の所得制限は公立高校で世帯年収910万円、私立高校の加算が同じく590万円となっているので、大学など高等教育修学支援新制度もそのくらいまで所得制限を引き上げていかなければならない。アクセスについても、地方ではまだまだ改善の余地がある。
高等教育修学支援新制度の拡充は、予算措置が必要な政策課題になる。政府の教育未来創造会議が負担軽減の対象を多子世帯などに広げる方向性を打ち出し、文科省が取り組みを進めているが、少子化対策が政府の優先事項となる中で、これらをもっと加速させていく余地があるだろう。
では、岸田首相が指示した「異次元の少子化対策」に合わせて、初等中等教育の充実は図れないのだろうかというと、そんなことはない、と私は思っている。喫緊の課題である教員増を狙って教職員定数の改善を図るのは一案だが、いまは21年度から小学校全学年の35人学級化を進めている最中で、しかも次のステップに進む前に教育効果の検証を行うことが義務標準法の附則に書かれているのだから、ちょっとタイミングが悪い。
いまは不登校が爆発的に増加しているのだから、不登校対策のために学校現場のマンパワーを増やしていくべきだと思う。私が政府にいれば、このタイミングで「不登校加配」を取りに行く。
不登校対策のマンパワーは、教員でなくてもいい。構造的な教員不足の中で、教員を増やしたくても人材確保が難しいという現実もある。それよりも、スクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)を学校現場に手厚く配置することが現実的だ。まずは当面3年間の時限的な措置として、全国の小中学校に1人ずつ毎日常駐できるように「時限付き配置」とすれば、政府内部の調整も進みやすくなる。この配置が学校現場の役に立つなら、3年後に恒久化を図ればいい。
全国の小中学校にSCやSSWが常駐できるようになれば、子どもたちへの支援が手厚くなるし、教員は自分の授業に集中しやすくなって、働き方改革にもつながる。
もうひとつの不登校対策として、メタバース登校の支援に踏み込んではどうだろうか。認定NPO法人カタリバが21年度からスタートしたメタバース上の教育支援センター「room-K」が成果を上げ、自治体との連携も始まっている。だが、カタリバが単独で全国のニーズに応えるのは難しい。メタバース登校という選択肢を確保するため、不登校の子どもたちにVRゴーグルを配るか貸し出すことができるといい。例えば、通常の教室に入れなくても、教育支援センター(旧適応指導教室)に来ると、VRゴーグルがいっぱいあって、そこでメタバース登校ができるような仕組みが考えられる。
もし政府が補正予算を編成するようであれば、メタバース登校への支援は政府の不登校支援策として非常になじむ。デジタル関係費になるので時勢に合っているし、イノベーションにも資することになる。いま全国の小中学校に不登校の児童生徒が24万人いるとすれば、VRゴーグルを24万台買える予算を付けることはできる。予算編成方針となる「骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2024)」に不登校対策を盛り込んで、デジタル技術も活用しながら支援することにすれば、予算が取れる可能性は大きい。
広域通信制高校のN高校には不登校経験者の生徒が多く、不登校の児童生徒に学びを保障する手段としてVR技術は非常に評判がいいと聞く。VRでは体を使うことも多く、チャット機能を使うと世界中の人たちとコミュニケーションを取ることもできる。
こうした政策には波及効果も期待できる。例えば、補正予算でVRゴーグルを24万台購入するとなると、それがイニシャル投資になってVRゴーグルの価格が一気に下がる。新しいテクノロジーを普及するために政府がファーストバイヤーになって、開発費を償却できれば、一挙にその商品が安くなって、売れるようになる。鶏と卵の関係と同じで、売れるとまた安くなるという好循環のトリガーになる。それがイノベーションに貢献することにもなる。そうした波及効果を上手に説明できれば、予算の獲得もしやすくなるだろう。
全国の小中学校にSCやSSWを常駐させたり、メタバース登校を支援するためにVRゴーグルを配布したりといった不登校対策は、岸田首相が子ども予算倍増に向けて年頭に示した3つの基本的方向性に沿う形で実現可能な政策だと思う。政務三役のリーダーシップと文科省の持っている提案能力が発揮されることを願っている。
(編集=佐野領・教育新聞編集委員)