高知県土佐郡土佐町議として、教育課題の解決に挑んでいる教育研究者の鈴木大裕氏。昨年12月には、土佐町議会から文科省などに対して「全国学力・学習状況調査は抽出式にすべき」という意見書を文科相に提出するなど、その活動は注目を集めている。「何がいい教育か」「どれがいいカリキュラムか」という問題だけではなく、教育現場で起きていることを通して、社会の在り方そのものを問うことが必要だと考え、仲間と共に教育現場と政治の場をつなぐ活動に奔走している。インタビューの最終回では、公教育を再構築していくために何を考え、行動に移しているのか、今後の展望を語ってもらった。(全3回)
土佐町は人口4000人弱の過疎の地域です。このままいけば、間違いなく町そのものがなくなるという状態です。
しかし土佐町は驚くことに、「町の存続を次世代の教育に懸ける」と決め、教育を町おこしの1本の軸として掲げました。そこにロマンを感じたのが、移住の大きな決め手でした。
全国学力・学習状況調査が抽出式になれば、成績を開示したところで学校間の比較ができなくなります。まずそれが重要です。また、今、教員が教室に来られない学校だって多くある中で、学力調査に何十億も費やしている場合ではないでしょう。
この意見書ももともとは、教員の意見を反映した意見書です。教員だけでなく、学者の友人などの賛同も得て、一緒に練り上げていきました。
土佐町議会は一つの小さな地方議会ですが、この小さな議会から国に対してしっかりともの申していくことが大事だと思っています。とはいえ、土佐町だけでやっても意味がありません。この動きを全国各地の3月議会で、どれだけ広げていけるかだと思っています。
まず、土佐町議会から2つの意見書の提出を考えています。
1つ目は、実際に動き出すのは6月以降になると思いますが、現場からの要望も大きい「教員免許更新制度の廃止を国に求める意見書」です。教育哲学者の苫野一徳さんとすでに議論を始めています。
2つ目に、各都道府県に対して「教員の変形労働時間制の導入禁止を求める」意見書です。フェイスブック上にも『教員の変形労働時間制を導入しないで!』というグループを作り、全国の教員や教育関係者と3月議会での提出に向けて連携しています。
変形労働時間制は、残業は認めるが残業代は出さず、休みは夏休み中にまとめて取るように促すなど、日常における教員の労働環境を改善するとは言い難い内容です。文科相自身が国会審議において「変形労働時間制によって教師の業務や勤務が縮減するわけではない」と明言しているにもかかわらず、導入されようとしています。
変形労働時間制には、教員の負担を軽減するという視点はあっても、「子供の学習権を保障する」という視点が決定的に欠落しているように思うのです。
また、土佐町議会では、昨年6月からずっと教員の働き方改革について議論してきました。全教職員への聞き取り調査では、「専科教諭を増やすことによって、自分たちの空き時間を作ってほしい」という声が最も多く聞こえてきました。
土佐町には小学校、中学校ともに1校ずつしかありません。それぞれ各学年に1クラスずつの編制です。現状では、中学校に美術の免許を持った教員がいません。ですから、まずは土佐町の予算で美術の専科教諭を雇えないかと提案しています。
美術の免許を持った教員を雇えれば、中学校の3学年だけでなく、空いた時間で小学校の図工の時間も教えてもらえます。さらに余裕があれば、地域のお年寄りや保育園の子供たちに美術を教えてもらってもいいわけです。
ただ、土佐町が独自の予算でやるのならば、他の市町村もそれぞれで教員を増やせと、「自己責任」になりかねません。だからこそ、教員を増やすことで教員の負担を軽減し、教育の質を保障することは、本来は国の責任であると訴えていくのが大切だと考えています。
私は、いま必要とされる教育改革は、「人を育てる場所」として学校を再構築することだと考えています。
私が土佐町の議員としてやっていることは、現場の声に耳を傾け、どんなサポートが必要かを拾い上げていくことです。そして、教員一人一人が専門性を発揮できるよう、教育条件を整えていくのが自分の役割だと思っています。
今あるさまざまな教育課題を「子供の学習権の保障」という視点から問い直すことが大事だと思います。
例えば、介護職が足りないという問題に対して、国はどんな対応策を講じたでしょうか。介護職を単純労働という枠組みの中に入れることによって、外国人実習生に門戸を開いたのです。同様に保育士が足りないという問題に対しても、免許制度を緩和して対応しました。
教員不足についても、このまま「教員が足りない」ということだけにフォーカスを当てていたら、誰でもいいから現場に送れば良いということになってしまいます。
しかし、そこに「子供の学習権の保障」という視点を入れたならば、「量」的な問題に「質」的側面も加えることができます。誰でも良いから……というわけにはいかないのです。
働き方改革にしてもそうです。今、教員が児童生徒と過ごす時間も十分に取れず、教材研究の時間すら足りない状況があります。つまり、教員が自分たちの仕事をさせてもらえていないわけです。教員が教員の専門性すら発揮できていないのに、子供の学習権を保障できるわけがないでしょう。
だったら、働き方改革の方向性も、教員らが「自分たちの業務を減らせ」と労働者としての権利ばかりを主張するよりも、「私たちに教員としての仕事をちゃんとさせてくれ」と専門家としての主張をする方が、世論は動くのではないでしょうか。
そもそも、今の日本における「勝ち組」の先に、幸せはあるのでしょうか?
「学力」と将来のキャリアや経済力を一緒に話すことはあっても、教育と幸せを一緒に話すことはほとんどありません。そこにこそ大きな問題があるように思います。
もし教育の先に、そして「学力向上」の先に幸せがないのであれば、そんなものは要らないと、私は思います。
社会が提供するあまりにも狭い「成功」の価値観の中で、子供たちは苦しんでいます。社会における幸せの形、または成功の価値観が多様化しないことには、真の教育改革はあり得ないのではないでしょうか。
最後に、今の日本のように、教員になりたい人がいないとか、教員が尊敬されないような世の中で、子供は真っすぐ、大きく育つのでしょうか。どうしたら教員をもっと魅力的な職業にできるのか?、そんな問いと真摯(しんし)に向き合うことが、今、求められていると思います。
(先を生きる取材班)
鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者。1973年、神奈川県生まれ。16歳で米ニューハンプシャー州の全寮制高校に留学し、そこで受けた教育に衝撃を受け、日本の教育改革を志す。97年にコールゲート大学教育学部卒、99年にスタンフォード大学教育大学院修了(教育学修士)。帰国後、通信教育にて教員免許を取得し、02年から6年半、千葉市の公立中学校で英語科教諭として勤務。08年に再び米国に渡り、フルブライト奨学生としてコロンビア大学大学院博士課程に入学。16年より高知県土佐郡土佐町に移住、19年より土佐町議員。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)など。