部活動ではなく教科として演劇を教える教師「ドラマティーチャー」。日本ではまだ知名度が高いとは言えないが、その教育的効果について少しずつ関心が集まっている。
そのパイオニアとも言えるのが、石井路子教諭だ。2004年に福島県立いわき総合高校で「演劇」教科の専任教諭となり、ドラマティーチャーとしてのキャリアをスタートさせ、現在は追手門学院高校の表現コミュニケーションコースで指導に携わる。大半の教育関係者にとって、未知の領域である演劇教育。石井教諭に、俳優やダンサーを育てるためではなく、「普通の高校生」に演劇を教えることの意義を聞いた。(全3回)
私が取り組み始めた15年くらい前と比べると、「やりたい」「良い教育ですね」と声を掛けられることが増え、だいぶ認知度が高まってきているなと感じます。学校現場や社会が、いわゆる偏差値ベースの学力を上げるための教育ではなく、生きる力を育む教育の大切さに、少しずつ理解を示し始めているのだと思います。
ただ残念ながら、演劇教育そのものの意義については、まだ十分に理解されていません。私は福島県と大阪府の学校で取り組んできましたが、「古いものにこだわらず、新しいことをやっていこう」と言う人がいる一方で、「とはいえ、学歴は大事だよね」と言う保守的な人たちの方がいまだに多いように思います。「この先どうなるか分からないなら、とりあえず今ある形でいいんじゃないか」という声も耳にします。
「表現コミュニケーションコース」の立ち上げに携わり、演劇の授業は私が中心となって展開しています。このコースは、普通科のカリキュラムに週8時間「表現」の時間を組み込んだカリキュラムになっていて、演劇4時間、ダンス4時間で構成されています。各学年で年に1回、大きな公演があります。
1年生は自分自身としっかり向き合い、自分をテーマにした一人芝居をする『自画像』公演、2年生はダンス公演、3年生の卒業公演は外部からアーティストを招いて彼らと一緒に作品づくりに取り組みます。
誤解されがちですが、私たちが行う演劇教育は、俳優やダンサーを育てるためのものではありません。リベラルアーツの側面があるとともに、表現活動を通じて相手を理解しながら自分の考えを伝えるスキルを養い、あらゆる状況に対応できるコミュニケーション能力を育むことが狙いです。ですから、成果発表が目的の公演だけでなく、老人ホームで高齢者とダンスをするなど社会包摂のための実習もあります。また、自分たちの学びがどのように社会に生かせるかについて、地域の方と対話をするなどの活動も行っています。
社会の中で、表現やアートが果たせる役割は大きいし、可能性に満ちています。
表現は、本能の一種です。でも、社会の中で生きていると、社会性を身に付けていく過程で気持ちを抑え込まざるを得ない場面に繰り返し直面し、知らぬ間に自分自身を抑圧するようになっていきます。しかし、本来持っているその人らしさを外側に出すことで、周りに理解してもらったり、周りとつながり合えたりすることは、人間にとって必要不可欠だと思うのです。
成長過程にある中高生にとっては、特に大切です。でも、思春期真っただ中の彼らは「自分を表現するなんて恥ずかしい」という葛藤があり、多くの場合は表現をしないまま大人になり、抑圧に順応するようになってしまいます。
私が思うに、人間は良い方向に自然に伸びていく存在です。でも、抑圧や周りからの過度な期待に影響されてねじ曲がって、本来の在り方ではない方向に行ってしまうように思っています。それはとても残念ですし、その過程では言い表せられない苦しさも伴います。そうした生きづらさのようなものを、表現することで少しずつ解放していく。そうすることで、より良くありたいという精神の健康を取り戻せるということを、生徒に知ってもらいたいと考えています。
私の授業では体を重視するため、まず身体的な運動から入ります。生徒には「体育だ!」とよく言われますが、そこにはかなりこだわりがあります。具体的には、ストレッチと筋トレで、「立つ」「歩く」「走る」といった日常生活の中の動きをひたすら繰り返します。
例えば、生徒たちに教室内をランダムに歩いてもらいます。歩くなんて当然できると思いますが、実際やってみると、つまずいたり、ぶつかったりとなかなかスムーズに歩けません。他人の動きをよく見て、距離を取りながら、即座に判断しなければなりません。そのためには周りを見る力と、即座に反応できる運動神経が想像以上に求められます。
表現する上でも生きる上でも、人間が本来持っている生命力を生かし、体の声に耳を傾けることは大切です。しかし、体の声は実際に聞こえるわけではありません。私が授業の冒頭で「心と体はつながっている」といくら説明しても、うそっぽいと感じる子は少なくないでしょう。だからこそ、生徒たちには自分の体を通してその声を聞くという実体験を通じ、心と体のつながりに触れてほしいのです。
どうしても最初は、恥ずかしい気持ちが勝っていわゆる「演技」ができません。だからまずは跳んだり、跳ねたり、音楽に合わせて動いてみたり、できるだけ恥ずかしくない動作から入って授業を進めていきます。すると、知らいない間に「演技」ができちゃっている…となるような感じで、緻密にブログラムを組んでいます。
そうですね。何より、精神的に健康になっていくなと見ていて思います。最初は物事を斜めに見る少しひねくれた感じの子も、まっすぐ自分の思いを伝え、他者に心を開いていきます。そうした姿を見ると、表現して他者に受け入れてもらえることが、人間にとって大切なんだなと思います。
※新型コロナウイルス拡大防止のため、インタビューはWEB経由で実施し、写真撮影は感染防止対策をとった上で、短時間で実施しました
石井路子(いしい・みちこ) ドラマティーチャー。福島県立いわき総合高等学校教諭として、高校生とプロの演劇人の協働を通じ、飴屋法水作『ブルーシート』(第58回岸田國士戯曲賞受賞)など多数の作品を世に送り出した。2014年度より大阪府追手門学院高等学校表現コミュニケーションコース教諭。著書に『高校生が生きやすくなるための演劇教育』(立東舎)。