生徒主体の視点から大胆な学校改革を進め、全国から注目を集める学校が大阪府池田市にある。固定担任制の廃止、ICTを活用した「個別最適な学び」の創造、「探究」中心の行事づくりなどを次々と実現させてきた池田市立北豊島中学校だ。フロントランナーとして脚光を浴びる一方、改革の過程では多くの困難に直面したと大坪真哉校長は語る。そうした「壁」の数々をどのように乗り越えてきたのか。インタビューの第1回では、改革の序盤戦を詳しく聞いた。(全3回)
──大坪校長は2018年の着任以来、数々の改革を進めてこられました。何かきっかけがあったのでしょうか。
着任当初、本校には昭和的な古い体質が残っていて、あいさつ運動の徹底に始まり、遅刻指導や服装指導も必要以上に厳しくやっていました。遅刻指導なんか、時間になると鉄製の校門を勢いよく閉めるんです。「なんてことをするんだ」と驚きました。まずはこうした指導を改め、本来的な意義や目的から教育活動を見直す作業を進めました。
それでも生徒や保護者とのトラブルは絶えず、「担任を変えてほしい」といった苦情が寄せられることも多々ありました。着任1年目の私は、そうした苦情に一つ一つ丁寧に対応する毎日でしたが、次第に「一人の担任が40人の生徒を見る現状の仕組みには無理がある」と思うようになりました。
そんな折に出合った本が、当時は東京都千代田区立麹町中学校の校長だった工藤勇一さんの『学校の「当たり前」をやめた。』です。その本には、固定担任制の廃止や宿題・定期考査の全廃など驚くようなことが書かれていて、「本当にそんなことができるのか」と思いました。そこで、まずは自分の目で確かめようと思い、同校の公開研に参加しました。
――実際に麹町中を見て、どんな印象を持たれましたか。
正直に言うと、あまり「良い学校」という印象ではありませんでした。生徒たちはすすんであいさつもしませんし、掃除も丁寧にしません。どこか雑然としていて、ティアラをしている生徒やピアスをしている生徒もいます。一つ間違えば「荒れる」んじゃないかと思いました。過去に視察した学校とは対照的で、自校に戻ってきた後、モヤモヤした気分になりました。
そのため、できればもう一度、自分の目で確かめたいと思いました。そこで工藤さんに手紙を書き、その後2回にわたって麹町中を訪問させていただく機会を得ました。2回目は本校の2人の教員も同行し、朝9時から午後5時まで1日中、各教室の様子を見させていただきました。
不思議なもので、その頃には生徒たちが自由な服装でいることが、全く気にならなくなっていたんです。「むしろ、これが普通の姿なのかもしれないと」と思い始めました。そうして自校に戻った後、私は「学校は何のためにあるのか」と自問自答しました。そして、学校の在り方を構造から変えていく必要があるとの結論に至ったのです。すでに、ノーチャイム制の導入や服装指導の見直しなどは進めていましたが、もっと根底の部分を変えていこうと決意しました。
――そうして固定担任制の廃止を決めたのですね。職員から反対はなかったのですか。
もちろん、ありました。固定担任制を廃止するということに、全くイメージが湧かなかったようで、「一体、この校長は何を言っているんだ」と思った教員もいたことでしょう。それでも、長時間にわたって職員会議で話し合いを重ね、翌2020年度から始めることで合意を得ました。
――よく合意が得られましたね。
決め手となったのは、「クラスの平均点」についての話題でした。例えば、あるクラスの点数が他クラスに比べて悪かったとして、現状のシステムではその要因を冷静に分析することができません。その結果、担任の責任にすり替わってしまっています。「本当にそれでよいのか」と話をする中で、コンセンサスを得ることができました。
その直後、コロナ禍で学校が臨時休業になりました。当然、卒業式の練習はできず、ぶっつけ本番で敢行することになりましたが、これが思いのほかうまくいったんです。それ以前は何度も練習を繰り返し、卒業証書の受け取り方や礼の角度などを徹底的に指導していましたが、そんなことをせずとも卒業式はできるんだということに多くの教職員が気付きました。この経験は、学校の当たり前を見直すという点で大きかったですね。
余談ですが、卒業式で生徒たちが歌ったのは、RADWIMPSの『正解』でした。コロナ禍に突入し、正解のない時代を生きていく生徒たちにはピッタリの曲です。それ以前から、生徒たちには常々「大人を当てにするな。時代は自分たちでつくれ」と伝えてきましたが、『正解』を歌って巣立った生徒たちは、多少なりともそんな決意と覚悟を持ってくれたように思います。
――その後、全員担任制は順調に定着していったのでしょうか。
今だから言えることですが、本当に「いばらの道」でした。臨時休業中は時間的に余裕があったので、教員同士で教科横断型の授業を考えるなど、前向きな空気が職員室に満ちていました。ところがいざ始まってみると、多くの教員が「こんなことしたくなかった」と言いだしたんです。
――一体、何があったのでしょうか。
結局、教員は生徒たちがかわいいんですよね。批判を恐れずに言えば、自分を慕ってほしいし、生徒を自分の枠に入れたい。そして、粗相をしてしまった子に「しゃーないな」と言って後始末をした自分に満足してしまう。そんな自己満足感を得られるのが楽しくて教師をしている面があるんです。それなのに、全員担任制では「自分のクラス」「自分の子ども」という枠が取り払われるので、そうした喜びが得られません。
固定担任制を廃止したことで、そんな教員文化が丸裸になりました。教員の多くは、生徒から「先生! 先生!」と言われることで達成感を得ていたんです。そのために生徒を「使っていた」と言っても過言ではありません。これは保護者にも言えることで、大人には「子どもを自分の思うように育てたい」という欲求が少なからずあるんです。
でも、教員の大半は実社会に出た経験がありません。そんな小さな枠の中に、子どもをはめ込もうとしてよいのか。はめ込もうとすれば、当然そこからはみ出そうとする子も出てきます。すると今度は、そうした子を問題児扱いして、保護者のせいにしたり教室から排除したりするんです。
――風向きが変わりだしたのは、いつ頃のことでしょうか。
その年の秋ごろからでしょうか。生徒主体の学校づくりの一環として、体育祭を全て生徒たちに委ねることにしたんです。当日のプログラムの作成も準備も運営も、全て生徒たちに任せました。
生徒会の子たちは不安でいっぱいだったようですが、本番は全て順調に進み、体育祭は大いに盛り上がりました。終了後は、安堵と達成感で泣いている子もいました。そうした生徒たちの変容を見て、教員の意識も少しずつ変わっていったように思います。
【プロフィール】
大坪真哉(おおつぼ・しんや) 1960年、大阪府池田市生まれ。母は幼稚園の教員、父は警察官。大学卒業後、教員の道を歩む。当初、全国的に学校は大荒れで「学校はえげつない場所」だと知る。授業を成立させるために、一時間の授業の中で「3回は大爆笑をとる」と授業は成立するというモットーを持つ。趣味は家族旅行・料理・スキー。