【改革の「壁」を乗り越える】 学校、教育に寄せる思い

【改革の「壁」を乗り越える】 学校、教育に寄せる思い
【協賛企画】
広 告

 「学校を構造から変える」という強い決意の下、数々の改革を推し進めてきた大阪府池田市立北豊島中学校の大坪真哉校長。幾度となく壁に突き当たりながらも、それを乗り越えてこられた背景には、どんな思いやバックボーンがあったのか。インタビューの最終回では改革を総括するとともに、歩んできたキャリアを振り返りつつ、学校教育に寄せる思いに迫った。(全3回)

生徒が朝の職員室に乗り込んできた

──改革を通じた生徒たちの変容について教えてください。

 生徒の中にも、まだ「以前の学校のままの方がよい」「先生に指示を出してもらいたい」と思っている子はいます。でも、大半の生徒は「この学校は自分たちでつくっていくんだ」と考えてくれるようになりました。

 生徒の自律性は、着任した頃とは比較にならないほど高まりました。今年度は、教員がコロナに感染して欠勤する日も多かったのですが、生徒たちはごく普通に自ら学んでいました。全員担任制でなかったら崩壊していたことでしょう。

コロナ禍は「全員担任制でなかったら崩壊していた」と振り返る大坪校長
コロナ禍は「全員担任制でなかったら崩壊していた」と振り返る大坪校長

──教員側の変容については、いかがでしょうか。

 教員については、異動もあるのでなかなか難しい部分があります。実を言うと昨年度の体育祭の予行が終わった次の日に、こんな出来事がありました。2人の生徒会役員が職員朝礼で先生たちにメッセージを送りたいと相談に来て、こう話したんです。「先生方が全然楽しそうに見えません。私たちは『誰一人取り残さない』をテーマに取り組んでいて、先生方も取り残したくないんです。ぜひご協力をお願いします」と。

――すごい話ですね。先生方はどんな反応をされましたか。

 シーンと静まり返りました。その後、ある教員が「生徒たちに、こんなことを言わせていいんですか。私たちの体育祭でもあるんですよ」と切り出したことで、教職員のスイッチも切り替わったように思います。

 後日、再び2人の生徒会役員が朝、職員室に来て、「先日の行事では楽しそうに参加してくださり、ありがとうございました。これからも先生方と一緒に、学校をつくっていきたいと思います」と語ってくれました。もう、私から話すことなんか何もないですよね。こんなふうに、学校がどんどんアップグレードしています。

原点は初任校での経験

――改革を進めるにあたり、キャリアの中で原点となるような経験があったのでしょうか。

 初任の時、学校がとても荒れていたんです。他校の生徒が乗り込んできて、パトカーが駆け付けるようなこともありました。私はいわゆる「ごんたくれ」の連中と仲良くならないとやっていけないと考え、徹底して生徒と向き合いました。

 すると、祖母と2人暮らしで家事を背負っていたり、自分が生まれた場所の事で悩んでいたり、家庭で複雑な事情を抱えていたりするような子がたくさんいたんです。自分はこれまで「人」を見てこなかったんだなとつくづく思いました。「学校を生徒と共につくる」という今の思いは、初任校での経験が原点になっています。

――荒れた学校で徹底して生徒と向き合うのは、簡単なことではありません。なぜ、それができたのでしょうか。

 実を言うと、徹底して向き合えたのは3年目以降のことです。1~2年目は、ただ何となく「仲良くなればいい」くらいに思っていました。

「荒れた学校」に勤めていた若手時代を振り返る
「荒れた学校」に勤めていた若手時代を振り返る

――3年目に何があったのですか。

 この年、学級経営が完全に行き詰まってしまったんです。そしてある日、泣きながら生徒たちに向かって「俺は一生懸命やっているつもりだが、皆が思っていることを書いてくれ」と言いました。すると「ひいきをする」とか「自分の都合ばかり優先する」とか、厳しい言葉がたくさん書かれていたんです。

 当時のことは、今も鮮明に覚えています。本当にショックでしたね。でも、この一件がなければ、「徹底して向き合おう」「本気で寄り添おう」とは思わなかったと思います。その後は教師というよろいを脱ぎ、本気で生徒と向き合うようにしました。それからしばらくして、ある生徒が「先生、変わったな」と言ってくれた時はうれしかったですね。

「Z世代」「α世代」に寄せる期待

――これまでの改革を振り返った上で、今後はどうしていきたいと考えていますか。

 まず、私自身には「改革をしている」という感覚がありません。生徒指導主事の時も、教頭時代も、校長になった後も、同じようなスタンスで教員や生徒と向き合いながら、その時々に必要なことをやってきただけです。さまざまな人と出会う中で、自分は世の中のことを本当に何も知らなくて、勉強をし続けないと駄目だとよく思います。生徒たちからも、まだまだたくさん学ばなければなりません。

 今後については、「人生100年時代」と言われる中で、遠い将来を見据えて教育のことを考えていく必要があります。100年前の大正時代、今の社会の姿を誰が想像できたでしょうか。同様に、今の子どもは全く想像のつかない未来を生きていくことになります。特定の知識や技能を身に付ければ、企業が終身雇用をしてくれるわけでもありません。

 だからこそ、自分の好きなことを突き詰めて、新たな仕事を創造していく力が求められます。その意味でも「自由」の本当の意味を理解し、当事者意識を持ち、自律的に生きる力を養うことが不可欠だと考えています。

文化祭にあたる「探究祭」の様子。生徒主体の学校づくりは今も加速し続けている
文化祭にあたる「探究祭」の様子。生徒主体の学校づくりは今も加速し続けている

――最後に、今後の目標を聞かせてください。

 私は今、再任用3年目を迎えます。今後の身の振りは自分だけでは決められませんが、できればもう2年はこの学校にいて、子どもの自律性を高める学校づくりをさらに進めたいと考えています。もし、そうした学びの在り方が全国に広く浸透すれば、本当に必要な教員の数が明確になり、教員不足が解消する可能性すらあると考えています。

 実は私の娘が今、中学3年生なのですが、長く不登校状態が続いていました。そんな娘を私は以前、無理やり学校へ行かせようとしていました。普段、勤務校では「学校に行けなくたって大丈夫」と話しているのに…、矛盾した話ですよね。

 そんなある日、娘が自分のiPadに「生きろ。家族のために頑張れ」と書いているのを見つけたんです。涙が止まりませんでした。妻とも話をして、それ以降は「家族で一緒に楽しく晩ご飯を食べられたら、それだけでいい」と思うようになりました。

 「デジタルネーティブ」とも言われる今時の子どもたちは、本当によく物事を考えています。公立学校がこのまま例年踏襲のまま変わらず、同様の価値観で突き進んでいけば、いずれは子どもたちに見限られるでしょう。不登校の増加は、その表れと見ることもできます。

 すでに「Z世代」「α世代」は私たち大人を冷めた目で見て、「自分たちが何とかしなければ社会は変わらない」と考えている子も少なくありません。彼ら彼女らがいろいろな人と出会い、多様な経験を積み、何が起きても人のせいにせず、「誰一人取り残さない社会」をつくってくれたらいいなと思います。そして、私自身はその後押しをしていきたいと考えています。

【プロフィール】

大坪真哉(おおつぼ・しんや) 1960年、大阪府池田市生まれ。母は幼稚園の教員、父は警察官。大学卒業後、教員の道を歩む。当初、全国的に学校は大荒れで「学校はえげつない場所」だと知る。授業を成立させるために、一時間の授業の中で「3回は大爆笑をとる」と授業は成立するというモットーを持つ。趣味は家族旅行・料理・スキー。

広 告
広 告