知りたい情報を相手から取ってくるのがフィールドワークではないし、まして対話でもない。結論を安易にまとめるな――。富山県立入善高校の観光ビジネスコースを担当する山手浩輝教諭は、これまでの学び方を揺さぶるような投げ掛けを生徒たちに行っている。初めは戸惑いを見せていた生徒たちも、繰り返し地域に出掛けることで、次第に多くの気付きを得るようになったという。山手教諭へのインタビューの第2回では、文化人類学の手法の一つである「参与観察型フィールドワーク」を授業に取り入れた意味を聞いた。(全3回)
――フィールドワークから戻って来て、生徒たちはどんなまとめをするのですか。
あえて「まとめるな」と言います。まとめたらそこで問うことが止まってしまうからです。例えば、何軒かの農家を調査したグループがあって、彼らはそこで聞いてきた話を「農家の課題」としてまとめて提出しました。そこで「それはどこの農家の話?農家はそれぞれ、違う人が違うことをやっているはず。それを『農家』としてまとめるのは、農家の人たちは全部同じだと思っているのと同じじゃないの?」と揺さぶるんです。
生徒たちは「えっ?」と驚いた顔をします。彼らの多くは小学校時代から「まとめる」ことに慣れているんですよね。そうではなく、どんな話があったのかを一つ一つ分けて、言葉にして挙げていくんです。冗長かもしれないけど、それを積み上げ初めて「こんなことが言えるかもしれない」という話が成り立つかもしれないし、「それぞれ別々だ」と言えるかもしれない。つまり、簡単にまとめて分かることではないんだと言いたいのです。
――これまで生徒たちが経験してきた学びのイメージを覆しているわけですね。
私が目指すフィールドワークは相手を対象化しないことなんです。相手の話を聞くときに「こういうことなのかな」と考える。そして「こういうことですよね?」と返す。そのやりとりの中で相手と一緒になっていく関係を作るのが、私が考える観光ビジネスコースのフィールドワークです。
このやりとりは、ただ相手の言うことを受動的に受け止めているだけでは成り立ちません。自分からもパワーを出して、より積極的に受け止めないと駄目です。このような複数の運動が互いを導き合う関係を英国の人類学者ティム・インゴルドは「コレスポンデンス(応答)」と呼んでいます。自分と相手との間に境界線を引いて、「相手の言うことを私が理解してあげる」という態度とは明らかに違うものです。
生徒は参与観察型フィールドワークを通して、このコレスポンデンスを経験していると言ってもよいでしょう。入善町に「ダックスファーム」という喫茶店があるのですが、そこの名物マスターはとにかくよく話す人で、ここを訪問した3年生のグループは初日、マスターに1時間ずっと話し続けられ、何一つ質問できずに帰ってきました。生徒たちは「わけが分からない」「もう行きたくない」と不満たらたらです。そこを何とかなだめて「もう1回行ってごらん」と励まします。
マスターの話を理解するには、生徒の側に分かろうとするエネルギーが必要なのです。「どうしたら相手の話が分かるか」と心を向けることで、初めて対話する関係が生まれる気がします。調査に行って自分が知りたい情報をつかんでくることは、対話とは言えません。相手を、情報を引き出すモノとしてしか見ていないことになるからです。それは本当のフィールドワークではない。相手が自分のことをどう話したいかというところまで関係をつくっていかないと、本当に地域のことを知るまでには至らないと思うんです。
――その喫茶店グループのフィールドワークはその後、どうなったのですか。
「次はマスターと話さなくていいから、マスターがお客さんと話しているのをずっと見ていてごらん」と言って送り出しました。すると、マスターの話を楽しんでいる人がいることに気付くわけです。そして、そういう人間関係のつくり方もあるんだと思うようになる。そうした過程こそが、いわゆる「自分ごと」への第一歩になるんじゃないでしょうか。
その後も喫茶店を訪問し続けた彼女らは、自宅でも職場でもない空間を「サードプレイス」という言葉で表現する世界があることを知ります。そして、サードプレイスは大人だけのものではなく、「子どものサードプレイスも考えられるのではないか」と思考が広がっていきました。喫茶店で受けた衝撃が軸足となって、視野が開けてきたのです。
「観光基礎」「エリアスタディ」のフィールドワーク後の授業や報告会では、生徒は現時点でどんな話を聞いてきたのか報告をします。生徒たちの発表を聞いて、教員も自分が感じたことを伝えます。担当教員は私を含め3人いるのですが、事前の打ち合わせは最小限にとどめ、互いの指摘が一致していなくても否定しないスタンスを取ります。そして、教師の意見に生徒を染めないよう意識して臨みます。
分かったことを箇条書きにして終わりといった発表があったら、ある教員は「もうちょっとまとめたらどうか」と言い、私は「こんなにまとめちゃ駄目だろう」と言う。教師同士も会話を予定調和に落とし込むことはせず、常に相手のコメントを考えながら聞き、生徒と対話するように心掛けています。
――山手教諭はこうした参与観察型フィールドワークを、どこで経験したのですか。
大学です。人類学を専攻したので、そこで経験しました。少し話はそれますが、私はなりたくて教員になったわけではありません。本当は研究者になりたかったのですが、大学院進学前にテーマで行き詰ってしまって…。周りはアジアの途上国などにフィールドワークに出掛けていましたが、自分は「これだ」という研究対象がなかなか見つかりませんでした。
東京に住んで地方のことを調査するといってもピンとこなかったし、無邪気に海外なんてという気持ちもありました。かといって田舎の人間が田舎のことを研究するのは、それは果たして研究なのかという葛藤も生まれてきました。そうして迷っているうちにリーマンショックが起き、就職も厳しそうだとなって教員を目指したわけです。
初任校は特別支援学校の高等部でした。最初の頃は生徒たちとどう関わっていいのか、全く分からないでいました。その時にふと「あ、この分からないというのは、まさに人類学じゃないか」と感じられたんです。
それで教員3年目に金沢大学の大学院に入り直し、教員として勤務を続けながら人類学を学びました。偶然にも教員生活そのものが、フィールドの一員として行動を共にしながら相手を描き出す「参与観察型フィールドワーク」になっていたのです。そして、人やモノとの関わりの中から障害がどう浮かび上がり、固定されていくのか「障害の社会モデル」に基づいた修士論文を書くことができました。
――その経験と今の観光ビジネスコースのフィールドワークとは、どう結び付くのでしょうか。
その後、コロナ禍になって福祉作業所などでの研究ができなくなってしまったんです。それならば今いる学校でできることをしようと思い、参与観察型フィールドワークを観光学習に取り入れてみることにしたのです。
自分の中では一本の線につながっているのですが、はたから見れば変わった教師が変わったことをやった結果、ちょっと変わった観光ビジネスコースができたとも言えなくはありませんね。
【プロフィール】
山手浩輝(やまて・ひろき) 1986年、富山県出身。大学卒業後、富山県の公立高校教員となり、特別支援学校などを経て2016年より県立入善高校に勤務。その間、金沢大学大学院人間社会環境研究科博士前期課程で学び、18年に修士号を取得。現在、観光ビジネスコース主任として新たな地域学習を模索中。進路指導部所属。