2040年の社会はどう変わっているのか――。そんな視点から必要な教育の在り方を論じた書籍『2040 教育のミライ』が、教育界で反響を呼んでいる。最先端のデジタル技術の活用法から大学入試制度の問題点まで、忖度(そんたく)なしに切り込んだその内容に、気持ちを揺さぶられたと話す教育関係者は多い。本の著者であり、ソニー・グローバルエデュケーションの会長を務める礒津政明さんに、インタビューの1回目では日本の学校教育が抱える構造的な課題に切り込んでもらった。(全3回)
――昨年出された著書『2040 教育のミライ』が大きな話題を呼びました。「2040年」を想定したのは、どのような思いがあったのでしょうか。
「2040年」と聞くと、かなり先のことに思われるかもしれませんが、ここ1~2年の間に生まれた子が大人になるのが、ちょうどその頃です。「2030年」時点では今とさほど変わっていないかもしれませんが、2040年にもなると社会は大きく変わっているはずです。実際にどうなっているか、細かく仮説を立てた上で、教育のあるべき姿を述べさせていただきました。
――書籍を出すに当たり、やはり日本社会が今のままではまずいとの思いがあったのでしょうか。
皆さんもそうだと思いますが、日本の未来に対してはもう危機意識しかありません。私が小中学生の頃はバブル最盛期で、日本の経済力は世界的にもトップレベルにありました。ところがその後バブルが崩壊し、半導体ビジネスも韓国に後れを取るようになりました。日本はそもそも資源がない技術立国だと理解していたので、当時高校生たった私は大いに危機感を抱いたものです。実際にその後の30年間で、日本社会はIT分野を中心に世界から取り残されました。
――原因をどう分析していますか。
いろいろな要因がありますが、AIの開発について言えば、英語や中国語に比べて日本語はデータの総量が少なく、その点がハンディキャップになっている側面もあります。だからこそ政治・経済・教育などの仕組みをドラスティックに改革し、そうしたハンデを覆す必要があったのですが、安定・安寧を求める国民性もあり、そこに踏み込めなかったのだと見ています。
――現時点で日本はまだ豊かな国だとは思いますが、今後の見通しをどう見ておられますか。
見通しは、非常に厳しいものがあります。例えば2013年以降、日本ではインバウンドが大幅に増えていますが、それは日本の物価が安く、手軽に旅行できる国になってしまったからです。つまり、かつての日本人が東南アジアに貧乏旅行をしたのと同じ感覚で、海外の観光客が日本に来ているのです。
すでに日本で正社員として働くより、オーストラリアでバイトをした方が稼げるなどという状況も出始めています。日本のパスポートは世界的に見ても信頼度が高いこともあり、今後ますます海外への出稼ぎ、海外移住が増える可能性があります。
――大卒初任給なども外資とは大きな差があり、今後は日本の優秀な学生が、海外法人に就職するような流れも加速するように思います。
現状、海外の現地法人に就職するには就労ビザが必要なので、何とかその流れは食い止められています。でも、今後もし規制が緩和されれば、一気にそうした流れが加速する可能性はあるでしょう。そう考えても早急に国内企業の価値を高めていく必要があり、その意味でも人材の育成、教育が大事になってくるのです。
――日本の教育について、どんな課題があるとお考えですか。
一番の課題は、国としての教育投資が少な過ぎる点です。医療や介護が重視され、教育にお金が回っていません。この点は「シルバー民主主義」と呼ばれる政治の問題で、若年層の人口ボリュームが少ないことにより、高齢者の声が優先されている現状があります。
――国の教育投資が望めない現状がある中で、別にどのようなアプローチが必要でしょうか。
教員の数が増やせないからこそ、デジタルを活用して教育活動や校務の効率化を図っていく必要があります。ところが、現状ではデジタル技術を敬遠し、配備された端末などを活用しようとしない先生も少なくありません。50~60代だけでなく、30~40代にもそうした先生が少なからずいます。先生自身が学齢期にデジタルを使った授業を受けて来なかったことのツケが、今になって回ってきているのです。
例えば英国は1990年代に、ナショナルカリキュラムにICTが科目として位置付けられました。日本でICTが学習指導要領に位置付けられたのは、その約20年後です。加えて内容がプログラミング教育でした。ファイルやフォルダなどの基礎知識もなく、キーボードの操作もろくにできない状況でいきなりプログラミングのような高度なスキルが求められれば、現場が戸惑うのは当然でしょう。
――「GIGAスクール構想」で1人1台端末が配備された点は、大きな前進と捉えてよいのでしょうか。
これまでの状況を考えたら、大きな進展だとは思います。ただ、国家予算としては約4610億円にすぎず、コロナ対策全体で使われた予算や他国の予算と比べても少な過ぎます。もう少し、高性能の端末が入れられていればと思いますね。政策としては評価できますが、もう一押し足りなかったという印象です。
――ICTは社会に出れば当たり前に使うのに、学校では使わないというのは考えてみたらおかしな話です。
ICTの活用しかり、日本の学校には社会に出て必要なことを学べていないという大きな問題があります。逆に、大して必要のないことも深掘りが求められます。例えば、古文や漢文では百人一首を一言一句、試験のためだけに暗記するような学びが求められています。同じようなことは他教科にもあり、一夜漬けで覚えて試験が終わるとすぐに忘れるなんて学びに何の意味があるのでしょうか。
米国や英国のカリキュラムを見ても、全員が共通して学ぶべき内容は限定されています。学びの深掘りは、一人一人が興味関心のある分野に向けてしていけばよいのです。例えば、東京大学の理系入試では物理と化学の高度な知識が求められますが、情報系の学部に進めばそこまでの知識を使うことはほとんどありません。日本の学校教育には、そうした状況が至る所にあります。
――この状況を打破するには、何が必要なのでしょうか。
第一に必修科目の数を減らし、選択科目を増やすことです。そうして、一人一人が異なる学びができるようにする必要があります。そして、たまたまマイナーな分野・領域に興味を持って深掘りした子どもが、大学入試で不利益を被らないようにすることです。
実際に米国や英国はそうなっていて、英国では70ほどある科目から子どもが10科目程度を選択します。そして、どの科目を選択しても大学入試では不利を被らないようになっています。
――日本ではなぜ、そうした改革が進んでこなかったのでしょうか。
本来であれば一人一人の創造性や問題解決力、論理的思考力などの非認知能力も評価されるべきですが、現実には筆記試験の点数ばかりが評価されています。その背景には、評価の公平性・平等性の問題があるのだと思います。
一方で、米国の大学はたくさん寄付をしてくれる富裕家庭の子が優遇される傾向があり、それがベストだとは私も思いません。とはいえ、日本の場合は公平・平等を重視し過ぎるあまり、例えば工学部はほとんどが男子学生で占められています。イノベーションは多様な価値観がぶつかり合う中で生まれることを考えれば、こうした状況は決して望ましいとは言えません。
――日本社会にはいまだ「学力=偏差値」という考え方が、保護者を中心に根強くあります。
おっしゃる通り、良い大学へ行き、良い企業に入ることが子どもの幸せにつながると考える人はいまだ少なくありません。そこから逆算して、子どもを偏差値の高い中高一貫校に通わせ、勉強だけに専念させたりしています。その結果として名門大学へ進めたとしても、失っているものは大きいのです。こうした状況は、保護者の意識の問題というより、制度的な欠陥が招いているものだと私は捉えています。
【プロフィール】
礒津政明(いそづ・まさあき) 1998年、東京工業大学卒業。2000年、同大学院修了、ソニー㈱入社。ソフトウェア、ネットワーク、ウェブ関連の研究開発に従事。12年より㈱ソニーコンピュータサイエンス研究所にて、事業インキュベーションに携わる。15年に㈱ソニー・グローバルエデュケーションを設立。16年5月、文科省「小学校段階における論理的思考力や創造性、問題解決能力等の育成とプログラミング教育に関する有識者会議」委員に就任し、「プログラミング的思考」を提唱。ロボット・プログラミング学習キット「KOOV」で16年度グッドデザイン金賞、第15回日本e-Learning大賞などを受賞。教育者向けイベント、教育シンポジウム・学会、ブロックチェーン技術イベントでの講演多数。