カナダのオンタリオ州子どもアドボカシー事務所のホームページには、次のように記載されていた。
「アドボカシーは技術ではありません。介入の戦略でもありません。実践の道具でもありません。効果的なアドボケイトになるためには、自分が行う全ての行動にアドボカシーの心情や行動規範、価値観が一貫して貫かれている必要があります。自己像、アイデンティティー、自分の人生の生き方などと統合された、切っても切れない一部になっていなければならないのです。」(菊池幸工訳)
子どもアドボカシー事務所元所長のジュディ・フィンレイさんは、「アドボカシーはライフスタイル」という言葉を残している。真に子どものアドボケイトになるためには、アドボカシー自身の生活や生き方が一つになっていなければならない。日常生活の中で、上下関係や力関係で物事を決めたり、相手の意見や気持ちを聴くことをおろそかにしていたり、自分の意見や気持ちを伝えることができなかったりしているとすれば、子どもに対する場合にだけそれができるはずがないのである。
日本には「長いものには巻かれろ」という言葉がある。世間の目を気にして、空気を読み、自分を抑えつけることが求められてきたのである。そのため、全ての人が対等に自分の意見を話すことができ、それが尊重されるという文化が成熟していないのである。
そうした状況の中で、おとなも息苦しい思いをしており、自分の意見や気持ちを抑え、夢や希望を諦めざるを得ないことも多い。そして、暗黙の裡に子どもたちにもそのような生き方を求めてしまっているのである。
子どもの時代に、自分の意見や気持ちをいつも誠意をもって聴いてもらい、尊重してもらった経験を持つおとながどれほどいるだろうか。そのような経験を持たなかったおとなが、次の世代の子どもたちに無力感や諦めを伝染させてきたのである。
私たちはそのような連鎖を断ち切ることができる。お互いが対等な関係の中で、意見や気持ちを聴き合い、尊重し合い、その実現のために支援し合うというライフスタイルは、全ての人が幸せに生きられる社会をつくることにつながっている。
そして、最も弱い立場にある子どもの権利が真に尊重されるようになった時、おとなの権利もまた尊重される社会になるのである。子どもの声から社会が変わり、「人権と共生の社会」の実現に向かっていくことを願って、子どもアドボカシーの実現に取り組みたいと思う。
(おわり)