【現代アートの見方を知れば 世界の見方が変わる(4)】答えではなく問いを立てる

【現代アートの見方を知れば 世界の見方が変わる(4)】答えではなく問いを立てる
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 現代アートの面白さはわかるが、それが一体何の役に立つのか理解できないという人もたくさんいることでしょう。娯楽の対象になるものや経済や福祉などに寄与するものであれば、まだその存在理由を理解することができます。しかし、現代アート作品の中には美しくもなく、意味もよくわからず、多くの人の共感を呼ばないようなものがたくさんあります。そんなものを生み出したり、鑑賞したりすることに、価値や意味を見いだせないという声はもっともな意見です。

KOSUTH JOSEPH One and Three Chairs, 1945 MoMA, NY ©2023 Joseph Kosuth / ARS, New York / JASPAR, Tokyo G3108 ジョセフ・コスースが発表したコンセプチュアルアート(1965年)。椅子と椅子の写真と辞書での椅子の定義の3つを一つの作品として提示し、椅子とは何かを突き付けた
KOSUTH JOSEPH One and Three Chairs, 1945 MoMA, NY ©2023 Joseph Kosuth / ARS, New York / JASPAR, Tokyo G3108 ジョセフ・コスースが発表したコンセプチュアルアート(1965年)。椅子と椅子の写真と辞書での椅子の定義の3つを一つの作品として提示し、椅子とは何かを突き付けた

 確かに現代アートの多くは、必ずしも何か役に立つものを生むために表現されるわけではありません。むしろそうした有用性や機能を目指した表現の多くは、「デザイン」というカテゴリーに入ります。小さなプロダクトから大きな建築物に至るまで、デザインにおいては便利さや快適さなどの目的や何かの課題に対するソリューションを与えることに表現の動機があります。見掛けの上でアートのような姿であっても、その創作が何かの機能や問題解決に向いていればデザインと呼べるでしょう。多くの場合、デザインとは設定された問題に対する「答え」を探す表現なのです。

 一方で、もしその問題設定やそもそもの目的自体が間違っていれば、その解決方法も全く的外れになる可能性があります。私たちにとっての問題とは時代とともに変わるもので、現在の有用性や問題解決という物差しだけで全てを推し量ることには落とし穴があります。だから問題を解決するより前に、そもそも何が問題かを捉えることが大事になります。

 学校教育ではあらかじめ与えられた「問い」があり、それに対する答えを選び取ることばかりを教えます。それだけを訓練していると、いつのまにか問いを立てることを忘れてしまい、安易な答えに飛び付きがちです。一方で、世界には答えがないことばかりですし、特に問題だらけの今の時代は「真の問題」が見えなくなっている可能性もあります。だからこそ重要なのは自ら問いを立てることであり、既にある答えや問い自体を疑う必要もあるでしょう。

 そんな中で「何を問題とするのか」にこだわる現代アートは、その表現を通じて社会や人生で当たり前になっていることに問題提起することがあります。作品の中には私たちの盲点を突くような鋭い問いを提示するものもあり、自分の中になかった問いと出合ったときほど、見方が変わるチャンスがやって来るのです。

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