現代アートの中には、サイエンスやテクノロジーを用いた作品が少なくありません。中でも機械の力を使ったアートは古くからあり、コンピューターグラフィックによる映像表現や、映像や光のプロジェクションによる表現は、すでに一般的な表現手法になっています。他にも鑑賞者の動きや関わりによって画像や音声が生成されるようなインタラクティブアート、人工知能のアルゴリズムによって描かれるようなデジタルアート、社会で起こる出来事の統計データや電子的なトラフィックが生成するパターンの表現など、テクノロジーを駆使した表現手法は技術の進歩とともに幅が広がっています。
また、機械の力ではなく、自然の力が表現の中に持ち込まれた作品も現代アートには数多く見られます。1970年代から広大な砂漠や草原の中で展開されてきたランドアートのように、その場所で起こる雨風や太陽の動きなどの自然現象が、作品の中に取り込まれることもあります。近年では遺伝子工学などの発達によって、生物の動きや生命現象が作品の中に取り入れられたバイオアートと呼ばれる表現も増えてきました。このように、学術研究と表現の領域は年々近づきつつあります。
これらサイエンスやテクノロジーを使った現代アートの表現方法はさまざまですが、多くの場合、作家の意図を超えた創造性が取り入れられます。表現の全てをアーティストがコントロールするのではなく、やってきた鑑賞者やその場で起こる出来事、自然現象や機械が生成するデータなどにより、その瞬間に偶然に生まれた予測不可能なパターンが展開されることに面白さが見いだされます。
こうしたアートには、アーティスト自らの感情や内面が表現されたり、個人の主張やメッセージが強く打ち出されたりするよりも、自然や宇宙の法則、社会や技術の状況がクールに表現されるところに特徴があります。作家の主観や個々の人間の意思とは無関係に、自然や社会ではさまざまな出来事が淡々と起こっており、その状況やメカニズムを表現する媒体としてアートが差し込まれるのです。
こうした作品で表現されていることに対し、美しさや醜さ、好き嫌いといった好みを込めてもあまり得られるものはありません。それよりも自然現象を観察・実験するように客観的な態度で臨めば、新たな気付きが得られるでしょう。アートに限らず、物事の個人的な価値判断を一度保留した先に本当の価値が見えてくることがあるのです。