【現代アートの見方を知れば 世界の見方が変わる(10)】タブーを明らかにする

【現代アートの見方を知れば 世界の見方が変わる(10)】タブーを明らかにする
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 現代アートを鑑賞する際に最も受け入れ難いのが、暴力的な表現や性的な表現、生理的におぞましい表現などを伴う作品ではないでしょうか。その他にも誰かへの誹謗(ひぼう)中傷に見えるような作品や、怒りや憎しみのような心の闇が描かれた作品は、鑑賞することに抵抗を示す人が少なくありません。なぜそうした表現をするのか共感できず、その存在意義すら理解できないという人もいるでしょう。もちろん、私たちにはそうした作品を鑑賞する自由も、見ることを拒否する自由もあります。

courtesy of the artist and Galerie Nathalie Obadia, Paris/Brusselsアンドレス・セラーノの「ピス・クライスト」は、キリストの像を自分の尿の中に沈めて撮影した写真作品
courtesy of the artist and Galerie Nathalie Obadia, Paris/Brusselsアンドレス・セラーノの「ピス・クライスト」は、キリストの像を自分の尿の中に沈めて撮影した写真作品

 それと同様に何を表現するかは作家の動機が尊重されるので、どのような表現であってもその自由は担保されているのがフェアだと言えます。その際に難しいのは、「多くの人に受け入れ難い」という理由で、展示から排除されるべきなのかを巡る議論です。特に問題になるのは、美術館のような公共施設や自治体が運営する芸術祭のような場です。表現の自由が担保されている国家では、表現の内容について行政機関が口出しする行為は検閲に当たりますが、近年はその是非を巡る議論が激しくなっています。

 しかし、検閲の是非について考える前に、アーティストがそういう表現をする動機や、その表現が持つ意味について考えてみるのはどうでしょうか。作家がわざわざエネルギーを注ぎ込んでその表現をするには、それなりの意図がある場合がほとんどです。何かしら私たちの固定観念の盲点を突こうとしている可能性を考えてみるべきです。

 私たちの社会生活の中には、日頃は表に出てこないような闇がたくさんあります。暴力や差別、死や戦争、性衝動や排せつ物、憎しみや嫉妬、孤立や排除など、私たちの人生や社会には負の側面も満ちあふれています。人々はそれを見ないようにして過ごしていますが、だからといって存在しないわけではありません。社会は表面を美しいものや清いこと、正しいことやまぶしいもので埋め尽くそうとしますが、汚れたものを隠そうとするほどそれは歪な形で噴出してくるでしょう。

 裏を返せばうそと奇麗事で塗り固められた社会の中で、そうしたタブーを表現することが許される数少ない場が現代アートの世界だとも言えます。誰の心の中にも負の側面があり、それは人には見せたくないものです。アーティストは自ら負の感情と向き合い、それを表現することで、人間や社会の真実の一端を垣間見せようとすることがあります。そうした作品を見ることによって、自分が見落としていたことやごまかしていたことに対して気付きを得ることもあるのではないでしょうか。タブーを明らかにすることも現代アートの役割だと考えれば、こうした作品は当たり前を思い出すための立派な教材に変わるかもしれません。

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