今回は、哲学対話の中心となる「問い」がテーマです。
哲学対話は、問い出しから始まります。問いはあらかじめ教師が用意することもあれば、子どもたち自身に出してもらうこともあります。哲学的なテーマを含む絵本などを読み、そこから問いを出すこともあります。
問いは、子どもたちのいつもとは違った一面を映し出すことがあります。いつもは控えめな子が、「生まれた子は三角形って分かるの?」という高度な哲学的な問いを出したこともあります。
ただし、ただ単に問いを出せばよいわけではないというのが、哲学対話の難しいところです。哲学対話の成否の多くは、どれくらい問いにこだわることができるかに関わっているからです。
問いにこだわるとはどういうことでしょうか。まず大事なことは、その問いで何を考えたいのかを明らかにすることです。一つの問いをどう解釈するかは人によって大きく異なります。問いの意味や意図がうまく共有されないまま対話をしてしまうと、論点のない単なる意見交換が続くだけになります。
例えば、以前ある小学校で「なんで人間は生まれるのか」という問いが出ました。その問いを出した女の子に問いの意図を聞いてみると、彼女は最近飼っていたペットが亡くなって、あらゆるものは死んでしまうということに気付き、自分が今生きている意味が分からなくなったと言いました。こうして問いの意図を明確化することで、他の子どもたちもその問いで何を考えたいのかが少しずつ見えてきました。最終的にこの問いは一番の票数を獲得して、対話の問いに選ばれました。
問いにこだわるためには、もう一つ大事なことがあります。それは、問いを磨くことです。これは、問いの中で前提とされていることを検討して、問いを組み替えていく作業を指します。
先日、「試練や困難に対して頑張って耐えるべきか」という問いについて対話をしました。この問いを出した人の説明を聞いていると、どうやら「頑張る」と「耐える」が同じものであると思っているようでした。そこで、みんなで話し合って、「頑張ると耐えるは同じなのか」と問いを組み替えました。こうして最初の問いを洗練させることで、問いを深めるための手掛かりを見ることができました。
このように、哲学対話では問いの内容だけでなく、その素材となる問い自体も吟味の対象とします。「問いはさっさと決めてすぐに対話をしたい」と急ぐのではなく、良い対話のための良い問いにこだわって考えることもまた大切なのです。