【 哲学対話のフィロソフィー(7)】哲学対話において「深まる」とは

【 哲学対話のフィロソフィー(7)】哲学対話において「深まる」とは
【協賛企画】
広 告

 「主体的・対話的で深い学び」という言葉は、今や教育業界で合言葉のように使われています。同じく哲学対話でも、「深い対話」「問いが深まった」「深く考えた」というように、「深まる」という言葉はよく使われます。

 今回はこの「深まる」について考えます。哲学対話において深まるとはどういうことなのでしょうか。

 話し合いや議論が深まるというとき、多くの場合そこには「わからなかったことがわかるようになる」というニュアンスが込められています。これを「明確化」と言います。哲学対話においても、明確化は対話の深まりを考える重要な指標の一つにもなります。しかし、通常行われる話し合いや議論と比べて、哲学対話では明確化の意味が少し異なる場合もあります。

 一つ例を挙げましょう。数年前にある高校で哲学対話をした時、私は対話の前と後で生徒たちに全く同じ質問をして意見を紙に書いてもらいました。すると対話の前では質問にはっきりと答えていた生徒が多かった一方で、対話の後では「わからない」「答えられない」「答えがわからない」と答える生徒が明らかに増えたのです。

 ここでのポイントは、最初は「わかる」つもりでいたことが、哲学対話を通じてさまざまな意見に出合ったことで、自分の「わかる」がだんだん揺さぶられ、その結果自分は目下の問いについて「よくわかっていなかったとわかる」ようになったということです。

 私たちは「わからなくなる」という言葉にマイナスなイメージを持ってしまいがちです。しかし、哲学対話では「これまで当たり前だと思っていたことがわからなくなる」ということが「わかる」ことは、むしろとても大事なことだと考えられています。というのも、哲学では見えを張って知っているふりをするのではなく、自分たちが何を知らないのかをきちんと認め、そこから改めて何かを知ろうとするという態度が求められるからです。

 ここで言う「わからなくなる」というのは、八方ふさがりになるという意味ではないということも重要です。哲学対話で「わからなくなる」ときには、問いが問いを呼ぶという現象が起きているのです。

 例えば、ある教室では「動物を食べることは悪いことか?」という問いについて考えていたら、それが「動物と人間は対等か?」という問いに形を変え、それに続いて「人間は動物か?」「動物には感情があるのか?」といった問いにも変化しました。

 こうして問いに答えるための新たな問いが次々と導かれ、子どもたちがより多くの観点から中心となる問いを考えるようになったとき、対話は深まり始めるのです。

広 告
広 告