「学ばざる者教えるべからず」の戒めがある。2012年の中教審答申では「学び続ける教師」であるよう求めた。「なぜ、今さら」と思ったが、社会の変化が激しい今日、学び続けなければ変化についていけない。変化に対応する教育の在り方を学ばなければ、不利益を被るのは子供たちであり、あってはならない。この答申が出された頃に新採であった教師の授業を観察した。小学6年生の総合の授業。子供たちがまさに自分たちで課題を設定し見通しを立てて活動し問題解決に向かっていた。教師は助言者に徹して子供の学びを観察し、振り返りの時間に学びのよさを伝えていた。その内容から子供の学びの姿をよく観察し読み取っていたのが分かり、教師として成長していることを実感した。後の場で話を聞くと、これまでに講師らから配布された資料を全て読み直して本単元・本時に臨んだという。この何年かに学び続けてきたことが身に付いていたのだろう。別の学校の教職経験10年を超える教師の総合の授業では、課題設定、学習の仕方・進め方、まとめ方、活動時間など全て教師の指示・説明で動かし、子供は終始受け身だった。これでは子供の学びの主体性は育たない。10年間何を学んできたのだろうと残念な思いであった。相撲の世界では「3年先の稽古」という金言がある。今の稽古の結果は3年先に出る、そうなるような稽古を続けよという意味だ。学ばざる教師は子供の主体的・対話的で深い学びをつくり出すことはできないと確信した。