2月27日、大津市いじめ自殺の高裁判決が下された。大阪高裁は地裁に続き、元同級生のいじめが自殺の原因だったとして二人に賠償を命じたが、その額は3750万円から400万円に大幅に減額された。既に市から見舞金2800万円と和解金1300万円が支払われていることに加え、両親が別居していたことや男子生徒が無断外泊した際に父親が顔をたたくなどしていたことを踏まえ、両親側にも家庭環境を整えられずに男子生徒を支えられなかった過失があるとして、減額の判断がなされたのである。約10分の1への減額に対し、マスコミ報道は驚くほど穏やかだった。1991年3月、鹿川君自死事件の一審判決が400万円(請求額6000万円)だったときにはこぞって判決を批判。3年後の二審判決(賠償額1150万円)では「一審は、鹿川君の笑顔に隠された絶望感を見抜けず、二審は鹿川君の立場になって、その内面を洞察した」(1994年5月21日付読売新聞)と、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の活字が踊ったときと比べると、その違いに戸惑いを感じる。鹿川君事件のときも両親の離婚や父親の同せいなど、家庭の問題が報じられていたが、その後、そうした多様な要因の追求はタブー視されている。その典型例がいじめ重大事態の第三者委員会調査である。委員経験者からは「被害を訴えた側の利益保護に偏りすぎているのでは」との声が上がり、被害に遭った要因に関することを報告書に書くのをためらう現状への疑念を抱く者も多い。調査目的が重大事態に「何らかの影響」を与えたいじめ行為の解明にあることは自明の理である。しかし、特に不登校事案では、児童生徒の特性や環境にも目配りし、個別支援の必要性に言及せざるを得ない事案も多い。被害児童生徒に寄り添うことは、委員会の中立性・公正性を揺るがすものではないが、「第三者委員会の結論が、民事・刑事の責任論に直結するものではない」認識を徹底しなければ、報告書への信頼は揺らぎ、加害者側の「裁判での徹底抗戦」意識は強まっていくであろう。今回の判決は、第三者委員会の在り方にも影響を与えそうだ。