現在、世界中で新型コロナウイルス感染拡大による学校閉鎖などが見られます。比較教育学者の私も諸外国の状況と対応を追い掛けていますが、どこでも転用可能な大正解となる対応は存在しないようです。オンライン教育には想像以上の工夫が求められ、安全な学修環境を担保しつつ、学生たちの学びの質の保障を目指すのは、容易なことではないと私自身も痛感しています。2020年春には多くの大学で遠隔教育を急に展開し、あれもこれもできる超人的な教員がさまざまな実践を披露しました。でも実際には、教員によって用いるツールが異なり統一感の小さい中、それらに対応する学生は疲労しました。その背景の一つには、全ての学生がICT利用を得意とするわけではないことが挙げられます。今の若者を「デジタル・ネイティブ」世代とくくりがちですが、研究上その存在は否定されており、マルチタスクとネットワークなどの特徴は学習においては集中力の欠如と孤立や格差拡大などの弊害を起こすとされます。また、今こそICT活用を促進すべきという教員が少なくありませんが、上記の弊害などからテクノロジーが安全な学習環境を脅かすと安易なICT導入に反対する意見もあります。やはり対面式がベストなのでしょうか。そうとは言い切れません。学校へ行くと考えただけで足がすくむ、登校はできても教室には入れない、教師または学友と出会うことが苦痛という学習者にとって遠隔教育は学ぶことに集中できる環境であると世界中で認知されています。そこで、遠隔と対面の組み合わせが良いとされますが、その設備や準備には大きなコストが伴います。では、今できるのは何か。ESDを研究する私は、包摂的な手法が大前提だと捉えています。この捉え方はSDGsで再確認されており、どのような状態であっても学習活動に参加できる公正な環境を整備することを意味します。教員自身も生涯学習者として貪欲に学ぶことができる状態とも言えます。質の高い学びの保障を目的とし、今は空間を共有できないからこそ、考え方の近い人だけでなく違う人や距離のある遠くの人とも時間を共有することで私たちは学び合う機会が与えられているのかもしれません。