想定外の事態に直面すると、従来の在り方が揺らぐ。その揺らぎの断面から、既成秩序の弱点がのぞく。コロナ禍の中で人々は、政治(家)や経済(財界)の貧困を、そして格差に分断された社会の実態を、いやというほど見せつけられていないか。歴史を振り返ると、太平洋戦争での敗戦という経験は、いかに軍事力を積み重ねても国民を守れないという真相を提示した。東日本大震災では、原子力政策や経済開発にみられるエコノミー重視(その半面でのエコロジーや安全性の軽視)の基盤が、意外にもろいものであることが判明した。新型コロナの場合は、どうだろう。数値目標・経済指標・PDCA・新自由主義などという表層のトレンドを吹き飛ばすように、命と生活を紡ぐ原点への回帰が再発見された。教育や学校の在り方も、社会的激震に際して再考される。敗戦は、「戦後教育」という概念を生んだ。東日本大震災は、直後に「災後社会」「災後教育」を指摘する声はあったが、定着しなかった。ポストコロナの教育や学校(「コロナ後教育」)は、どのように議論され、新しい形が追究されるのだろうか。戦後教育・災後教育・コロナ後教育を通底する方向があるとすれば、その一つは、自律的学習というものだろう。戦後教育は、自主的精神に満ちた国民の育成を目指し、自由で闊達(かったつ)な学習機会を提供しようとした。災後教育では、想定外の事態に際しては、自己判断を磨いて身を守るような姿勢を重視した。コロナ禍の中で、テレワークやオンライン授業が進みつつあるが、その根底を支えるものは働く者や学ぶ者の自律性に他ならない。自律的学習という概念は、戦後教育の理念であり、20年前に制度化された「総合的な学習の時間」の創設意思でもある。墨守や指示待ちではダメ。自律的に学び考えることなしに幸せになれないコロナ禍に直面して、そんな時代に生きていることを再認識したい。