最近、本学の学生がフィリピンの大学生とESD/SDGsの課題を共同で考える機会を持った。それを一言で言うと、圧倒的な分析力とディスカッション力(ディベートとは異なる)を兼ね備え、社会や政府への提案力を持った学生たちとの出会いであった。
彼ら学生一人一人の問題意識の歴史的根拠やしっかりとした世界を見る座標軸に基づく高い「探究力」は、視野の広さと考察領域の多種性に及ぶダイナミズムとしてディスカッションに表れる。本学学生が目の当たりにした現実であった。
大切なことは、ディスカッションは決して対決ではなく、むしろ共生の作法として世界共通の参加型考察方法の一つとして認知されていることだ。
具体的に、自己の見解を異なる立場から検証する役割を持つと同時に、相対する見解を止揚して新たな見解を導く働きがある。それ故に新学習指導要領にも取り入れられている。
ところで、これまで何度も訪れたことのあるフィリピンの貧困地域において就学状況が改善しつつあることを知った。コロナ禍によって社会が「停止」した際、この状況を利用した施策がなされたという。
生活・社会関連インフラの恩恵から程遠い人々の生活地域に地方政府がカラフルで小さな(行ってみたくなるような)学校施設を設置し、生活保障と同時にあえて子供たちが労働から切り離されているコロナ禍の状況を利用してオンライン教育を受ける機会を設けた、との説明を受けた。
まだ途上ではあるが、確かにかつては学校の制服を着用している子供に出会えることは到底考えられなかった地域で、今を消費するのではなく可能性と選択肢が生まれつつある子供の姿が見え始めていた。
私たちはこうした考察力と現実の課題解決の連動を知ることができる。ある課題解決が別の課題を引き起こす場合があることは既知の通りである。ここにジレンマが生じる。
この点、コロナ禍での学校運営による社会不安拡大への対応と貧困地域での教育を受ける機会の絶対的確保とのジレンマが深くなったものと推察できる。結果、地域や実情に応じたジレンマを止揚する教育施策により一つの変化が生まれていた。今回、決して一律施策ではないフィリピンの対応を知ることができた。