北陸大学国際コミュニケーション学部助教
この連載の第1回で、民俗学者の大石泰夫の言葉を引用しました。 「魅力ある民俗芸能は人々に『自分たちも演じたい』という欲求を喚起する」 これには続きがあります。
私はクラス全体の英語の知識や技能が高まっているかどうかに、あまり関心を持たないタイプの英語教師です。一人一人の成長や変化には興味を持てますが、クラス全体で足並みがそろっているかはほとんど見ません。だからこそ、これまでの連載で書いてきたエピソードも教室の中の数少ない生徒や学生に焦点を当てた、小さな出来事が多かった気がします。
見取りのチャンスは日常の何げない場面にたくさん転がっているものですが、教師の側から見取りの「ねらい」を定めることもできます。
以前、私が担当する大学1年生の英語の授業に、アシスタントとして参加してくれた3人の教職課程の学生がいました。3人の学生による見取りは三者三様でした。
今回は、小学4年生のクラスで見取りのトレーニングを積んだ大学生たちのエピソードを幾つかご紹介します。 教師は一度に数十人の児童生徒と関わります。丁寧な見取りをしようにも、一人の「気になる子」をずっと見ていられる仕事ではありません。
「今日は元気ないね」 「うん。でも大丈夫」 「大丈夫って?」 「今、ママのこと考える時間。元気ないけど、大丈夫」
「こいつ、注文多いな?!」 私の英語の授業で、ある女子学生から発せられた言葉です。課題は「旅行に行く際の服装についてアドバイスを求める男子大学生からの相談」という設定で書かれた英文を読み、旅行プランや相談者の好みに合わせてコーディネートを提案するというものでした。
「洋楽解説の宿題って、必ず和訳しなきゃ駄目ですか?」今年度、私の授業の宿題として、多くの学生が洋楽の歌詞を翻訳しているのですが、和訳を考えるより、歌詞に出てくる単語や熟語の意味・用例を学ぶ方が楽しいと思ったある学生からこのような連絡が来ました。元々、(洋楽に限らず)英語のコンテンツに触れ、それを授業でクラスメートに紹介するという課題なので、「どう触れるか」は自由だと伝えました。
私が勤める大学には、英語がすごく苦手な学生も来ます。そういう学生には、基礎的な文法・語彙(ごい)から英語を学んでもらいます。手前みそですが、いつからでも、好きなところから英語を学べる体制があるのは良いことです。
今回、「見取り」をテーマに連載を書くにあたって、「教師が培ってきた『暗黙知』をどのように可視化し、継承していくか」という挑戦的な課題をいただきました。教師の知識や技能を「可視化し、継承」すると言うと、先輩教員がやっているのと同じことを経験の浅い教員もできるようにするというイメージで捉えられるでしょうか。
広告ブロック機能を検知しました。
このサイトを利用するには、広告ブロック機能(ブラウザの機能拡張等)を無効にしてページを再読み込みしてください