第10回 見取りの伝承と伝播

第10回 見取りの伝承と伝播
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 この連載の第1回で、民俗学者の大石泰夫の言葉を引用しました。

 「魅力ある民俗芸能は人々に『自分たちも演じたい』という欲求を喚起する」

 これには続きがあります。

 「しかし、民俗芸能というものがいったん定着すると、方言のようには伝播しにくいということなのである」

 同じ場所で世代を超えて受け継がれる「伝承」に対して、「伝播」は同じ時に異なる場所に伝えられることであり、それは放っておけば起こるものではないのです。

 教員の間でも、先輩から後輩へ職務上の知識や技術などが「伝承」されていくことも多いでしょう。一方で、授業に代表される教育的行為の場は「個人商店」と例えられたり、あるいは「聖域」と呼ばれたりして、他の教員が立ち入ることが許されないような風習があるのかもしれません。そうだとすると、一人の教師の中に定着した授業に関する知識や技術あるいは見方・考え方は、放っておいてもなかなか他の教師に「伝播」していきません。意図的に自分の中から技術や知恵を取り出して他者に語らなければ、教師の知識や技術は受け継がれないのです。

 もう一つ、この連載の第1回で「非他律的態度」の重要性を述べました。見取りの正しさは誰からも与えられません。それでも私たちは何か正解らしきものを欲してしまいますし、気を抜くと「あの子はこういう子だから」「あいつまたサボって」「この子は相変わらず真面目な子だな」と自分の相対している学習者(集団)について、固定的な見方をしてしまいがちです。そのような大人の都合に合わせた子ども理解はやがて「教室マルトリートメント」※1につながる危険性をはらんでいます。そうならないためにも、やはり「語る」ことを大切にしなければならないのです。「目の前の子どもへの関心を深める教師の語りが、いつの間にか私たちが陥っている支配的なものの見方を問い直す働きをする」※2のです。

 この連載を通していろいろな見取りについて語る中で、私自身も省察を深めることができました。見取りを語ることは教師であれば誰でもすぐに始められます。忙しい日々の中ではありますが、「明日どうしよう」の前に一度「今日どうだった?」とお近くの先生に声を掛けてみてください。(おわり)

 

※1 川上康則 (2022)『教室マルトリートメント』東洋館出版社.

※2 岩川直樹(2024)「語るという原点」『教育』940.5-12.旬報社.

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