第3回 計画からはみ出る学習過程の見取り

第3回 計画からはみ出る学習過程の見取り
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 「洋楽解説の宿題って、必ず和訳しなきゃ駄目ですか?」

 今年度、私の授業の宿題として、多くの学生が洋楽の歌詞を翻訳しているのですが、和訳を考えるより、歌詞に出てくる単語や熟語の意味・用例を学ぶ方が楽しいと思ったある学生からこのような連絡が来ました。元々、(洋楽に限らず)英語のコンテンツに触れ、それを授業でクラスメートに紹介するという課題なので、「どう触れるか」は自由だと伝えました。この学生は、自分の好きな学び方を自分で提案してくれました。これは個々の裁量の大きい宿題だから起きたことでしょうか。教師の計画に沿って進む「授業」においては、このようなことは起きないのでしょうか。

 教職課程の学生の教育実習での英語の授業の話です。その授業ではプレゼンの内容を広げたり深めたりするために、生徒にマインドマップを描かせていました。①ペアの生徒に対して発表練習②フィードバックを受ける③マインドマップに書き足す――という流れの反復が想定されていました。あるペアは②まではやるのですが、③をやらずに2人で内容や構成を話し合っていました。この2人の生徒は決して先生の話を聞いていなかったわけではなく、むしろクラスの中でもかなりこの授業にのめり込んでいるように見える2人でした。実習生は授業後に「マインドマップがあまり書き足せていなかった」という反省を口にしたのですが、少なくともその2人は、先生から与えられた「マインドマップ」というツール以上に、2人で話し合った方がプレゼンが良くなる、あるいはもっと単純にその方が楽しいと感じていたのだと思います。

 基本的に全ての生徒が学習目標に到達するための手だてを考えるのが教師の仕事であり、歌詞の和訳もマインドマップも一つの手だてです。一方で、学習者は思ったより「好きに」学びます。そんな学習者の様子を見て、「そういう学び方もいいね」と思える見取りもあってよいでしょう。それは教師が学びの目的を再確認し、学びの多様性を喜び楽しむ瞬間です。そういった、教師の計画通りではない学びの過程を評価していくことを、「形成的評価」と区別して、「形成的アセスメント」と呼ぶこともあります(クラーク, 2016)。

 前回と今回で、学びの過程の見取りについて書いてきましたが、彼(女)らが教室でやっていることは「学び」だけなのでしょうか。

 

[引用文献]

クラーク, S. (安藤輝次[訳])(2016)『アクティブラーニングのための学習評価法―形成的アセスメントの実践的方法』関西大学出版部

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