私はクラス全体の英語の知識や技能が高まっているかどうかに、あまり関心を持たないタイプの英語教師です。一人一人の成長や変化には興味を持てますが、クラス全体で足並みがそろっているかはほとんど見ません。だからこそ、これまでの連載で書いてきたエピソードも教室の中の数少ない生徒や学生に焦点を当てた、小さな出来事が多かった気がします。
私のそのような見取りの「癖」は、私の教師としての願いとつながっているのだと思います。Keppensら(2021)※1は教師の信念は教室の状況を解釈する際の「フィルター」機能を果たすと言います。私は英語の知識・技能の高まりにあまり興味がない一方で、「英語との付き合い方が前向きになっているか」にはとても関心があり、英語に対して極度に忌避的でもなく盲目的でもない態度でいてほしいと常日頃から願っています。そうすることで、「ミスするかもしれないけど声に出して言ってみる」とか「発表の内容を真剣に考える」とか「言いたいことを言うために単語や文法を意図的に選択する」とか「本文の内容に対して感情を動かす」とかいった姿を見つけ、意味付けるようになります。
「TOEICで点が取れるか不安で仕方ない」「全部覚えるので教えてください」などと、英語学習に追い立てられているような感覚の学生もいます。もちろん、「できるようになりたい」という気持ちを尊重し、時に教え込んだり、評価したり、進捗(しんちょく)をチェックしたりすることも必要です。ただ、私自身は(英語)教師としてのそういう側面が非常に弱いのだと思います。スコアや偏差値を上げるための指導も、スキルとしては苦手ではないと自負しつつも、「教える・教えられる」という固定的な関係性の中で外国語を学ぶというシステムや文化の中で、知識を与える側の人間として振る舞うことに抵抗があるのです。
ただ、そのような教育観や授業観が常に安定しているわけでもなく、日頃の授業の中で少しずつ姿を変えて、立ち現れてきます。授業の中で自分が「何を」「どのように意味付けながら」「どのような文脈に置かれて」見ているのか※2に自覚的になることが、自分自身の持つ教師としての「願い」を理解することにつながり、そのような信念やアイデンティティーの省察が教師としての成長に寄与するはずだと考えています。
※1 Keppens, K., Consuegra, E., De Maeyer, S., & Vanderlinde, R. (2021). Teacher beliefs, self-efficacy and professional vision: disentangling their relationship in the context of inclusive teaching. Journal of Curriculum Studies, 53(3), 314-332.
※2 中村駿 (2023)「授業過程における教師の見とりに関する研究の概観と展望」『武蔵野大学学術機関リポジトリ』15,25-35.