自由学園男子部教諭
中動態的な授業は、生徒や教師の関心の文脈を授業化していく。こうした授業を、生徒はどのように捉えているのだろうか。本連載の締めくくりに当たり、生徒に話を聞いてみた。
「人権が語り落とすもの」について考える単元の2回目の授業では、ハンナ・アーレントの略歴を紹介した上で、著書の『全体主義の起源』を抜粋して読んだ。アーレントは、人間が人間であるだけでは人権は付与されず、人権を得るためには「足場」が必要だと指摘する。
2020年5月25日、米国で黒人男性のジョージ・フロイドさんが警察官から暴行を受けて死亡する事件が起きた。その時期、授業ではコロナ禍について扱っており、「言葉が語り落とす文脈」について議論をしていた。事件を受けて、生徒から「『人権』という言葉が語り落とす文脈は何か」と質問が寄せられた。
生徒の要望を受けて急きょ行うことになった「コロナを通して社会を診る」と題した単元では、最初に全国で問題となり始めていた「コロナ差別」についての検討を行った。病院からの乗客に対するタクシーの乗車拒否、感染者の家を狙った投石や落書き、長距離トラック運転手の子供が登校を拒否された問題など、各地で相次いだ差別の事例を調べながら「日本はもうダメかもしれない」とつづる生徒もいた。
2020年3月以降、勤務校ではオンライン授業が続いた。4月16日に緊急事態宣言が全国に拡大されてからは、生徒からコロナ禍に関する授業を希望する意見が複数寄せられた。そこで、22日からコロナ禍に関する単元を開始することとした。単元を構想する上で取り入れたのが「危機心理学」だ。
生徒も私も、日々の言語活動を授業で共有する癖がついている。例えば、最近接した本や映画の解釈について、授業で共有するのである。 2019年に、私がU2というバンドの日本公演を見た時も、授業で報告することとなった。U2の歌詞を授業で扱ったことがあり、生徒も関心を持っていたのである。
「言語活動の文脈を創発する場」として授業を捉える場合には、教科書も重要であるが、生徒や教師の言語生活の文脈も重要となる。新たな言語活動の創発には、生徒や教師の興味・関心が不可欠だからである。今回着目したいのは、授業中の何気ない会話、すなわち「雑談」によって創発される言語活動の文脈である。
2017年5月22日、英国で行われていた世界的な歌手であるアリアナ・グランデのコンサート終了直後に爆発が起きた。負傷者は120人以上、23人の犠牲者が出るほどの大惨事であった。
昨年末、大学入学共通テストへの記述式問題の導入や英語の民間試験の活用の方針が暗礁に乗り上げるなど、大学入試を巡る動きが迷走していた。 昨年下半期の授業で私は、教育格差の問題を扱っていた。ちょうどその時に、萩生田光一文科相による「身の丈」発言があり、その発言を捉えた生徒の要望から、大学入試改革の是非についても単元の中で扱うこととなった。
前回は「中動態的な授業づくり」を提案した。今回は「中動態的な授業づくり」によって可能となる「創発」について考えたい。 まず「創発」(emergence)とは何か。差し当たりの定義として「参加者の相互作用によって、不確定な領域へと文脈が切り替わること」を「創発」と考えたい。
前回は、言語活動を真に充実したものとするために、「文脈の創発」という視点を提案した。今回は、そのために必要な「構え」について考えたい。まずはキーワードとなる「中動態」を説明しよう。
高校の新学習指導要領の新科目「論理国語」や「公共」の導入に伴って、「言語活動」が再び脚光を浴びている。人々の関心は「活動」それ自体に向きがちだが、本稿では言語活動の「文脈」に着目してみる。
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