松岡正剛さん(下)情報とは何かを考え、AI時代に備える

松岡正剛さんに探究学習のヒントを聞く新年のインタビューは、日本人の読解力低下について、国語を巡る東西文化のデバイド(格差)まで深く掘り下げた説明で始まった。

文字をもたなかった日本に漢字が到来した弥生時代から万葉時代にかけ、日本人は国語に革命的な変化を起こして日本語を成立させることに成功した。だが、明治維新期にヨーロッパの近代文明を吸収したときには、残念ながら、近代国語としての日本語を組み立て損ねてしまった。それが読解力問題の根底にあるとの見解が、松岡さんから語られた。

では、AI時代を迎えようとする中、世界に通用する読解力を日本人が身につけていくためにはどうすればいいのか。多くのヒントが示された。

(聞き手 教育新聞編集委員 佐野領)

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情報とは何か 三つのキーワードで理解する
――欧米流のロジカルシンキングは、AI時代を迎えると、ますます徹底されていくでしょう。AI時代をどう理解するかが、これからの先生のスキルを考える前提になりそうです。

学校にパソコンが入り、プログラミング教育も発達するから、AIと教師のスキルはだんだん近くなりますね。

AIについては、ずっと期待してました。なぜそう思えたか、これも長い話を縮めて言います。マンマシーンは人類が到達したある姿だろうと思います。人間機械系という一つの「系」ですね。自動車、自転車、ラジオ、通信、電話は、第一機械時代と呼ばれるのですが、この時に、私や佐野さんがメガネを外せないのと同じように、これはもう外せない、装着された機械になるだろう、と思っていました。

ここで機械について語られなければならないのは、人間機械系のような知覚や運動機能の代行ではなくて、記憶や記録や表現機能の代行であるような、AIに向かいつつあることです。

走る、見る、聞くだけではなくて、知覚的なものから思索的なものに展開しつつある。決定的なキーワードは、情報の取り扱いを機械が代行できることだと思います。

そうなると、学校の先生が一緒に考えてほしいのは、「情報とは何か」です。AI時代が来る前に、シンギュラリティ(技術的特異点)が足音を立ててくる前に、「ねえねえ、情報ってなんだろう」と、子どもたちと一緒に考えてほしい。そこからスタートするのがいいと思います。

情報とは何か。基本は「情報は人間生命からきている」です。生命の組み立てが情報生命から来ているので、まず情報を考えるときに「私たち君たち僕も情報でできているんだ」というのを第一前提として学習し、語り合うことが大切です。

二つ目は、「情報はメディアになった。それを君たちは知ってるのかな」です。「君たちの家にも新聞が届くし、テレビがあるよね。これはメディアというものだ」となります。メディアとは何か。「そこにその人がいるわけじゃない。でも、情報化されているんだよ」ということです。情報はメディアとして外へ出てしまったわけです。

一つ目は「情報は私たちの生命の中にある。僕たちの中にあるよ」。二つ目は「メディアが情報を不思議なものにしちゃったよ」ということです。

三つ目が「コンピューターが出てきたね」です。コンピューターはエンコードした情報をデコードできる。「入力した情報は出力できる。コンピューターの中で、つまり自分の手元で、始まりから終わりまで完結できるものがつくられた」わけです。

1番目の生命は、私たちは情報を生命から受け取っている情報生命だけれども、完結はできない。人類や地球と共に、ざーっと動いてる中の一人であるが、完結しない。

2番目のメディアは外がやっている。テレビ局、新聞社、あるいは雑誌がやっている。だから情報なんだけれども自分でエンコードして、出てくるものを管理するわけではない。でも、3番目のコンピューターは、自分で入力したものを自分で出力できる。情報をとってくることもできる。テレビや新聞をみることも、自分が書いたものも伝えることもできる。そういう自己完結装置になりつつある。もっと言うと、自己組織化装置になっている。

僕は、まずAIというものを教室で考えていくにあたって、「生命としての情報」「メディアとしての情報」「機械として、特にコンピューターとしての情報」の三つを行ったり来たりできるように、今のうちに準備しておくのがいいと思います。

情報は「乗り換え」「着替え」「持ち替え」を起こす
――情報を取り扱うために、先生はどのようなスキルを高めるべきでしょうか。

僕の編集工学の基本にある見方なんですが、情報は置き換える時につかめるのです。情報はここにあるものを、どこか別のところに動かした時にわかる。情報はじっとしてるとわからない。だから僕は「情報はじっとしていない。情報は一人でいられない」という標語を昔つくったんですが、それをイシス編集学校ではこう言っています。

情報は「乗り換え」と「着替え」と「持ち替え」を起こします。

連想力を磨くスキルを次々と説明する松岡正剛さん(小森康仁撮影)

情報は何に乗っているか、その乗り物をみましょう。新聞に載ってる情報、テレビに載ってる情報、 Yahooニュースで出ている情報では、乗り物が違います。その乗り換えているところ見ましょう。それが一つです。

二つ目は、情報は着替えます。その時に見出しが新聞によって違うように、何かの着替えをしている。つまり、柄(がら)を持つ。それはモードと言った方がいいし、もっと言うと文化です。情報にはモードと文化が必ずつきまといます。だから、それに注目できるスキルを身につけましょう。

例えば、ある番組に出てきた松たか子を「ああ、面白いな」と仮に思ったとします。でも、次のドラマで出てきたとき、「松たか子って、前とは違うな」って思いますよね。それが情報の着替えです。

三つ目は持ち替えです。情報はかばんを持って歩いているんです。そのかばんの中にスパナが入っているのか、のこぎりが入っているのか、あるいはICレコーダーが入っているのか、薬が入っているのかによって、情報は変わっていく。どんな情報もかばんに入っているものが違います。

情報は乗り物、着物、持ち物を見る必要があります。

例えば、「電気について考えよう」という時に、情報という仕組みを入れてみる。例えば、ファラデーはそれまでの電気について、乗り物を替えたのか、それとも磁場とかの着物を変えたのか。児童生徒に「持ち物が違うね」と言わせてみる。これはすごく重要だと思います。

連想力を磨くスキル①問・感・応・答・返のフォーマットをつくる
――その力を磨くために先生は何をしたらいいですか。

自分の連想力がどのぐらい伸びるか、幅を持つか、まず確認作業をするのがいい。りんごって言われた時に、赤とか、ニュートンだとか、思いつくことをマッピングする。その連想マップを自身でつくってみると、型、パターン、限界、傾向が出てきます。

そこから二つ方法があります。それを使って自分の持ち味はこれなんだと考え、その連想の範囲内で教室やAIを使うやり方が一つ。

もう一つは、他人の連想のマッピングをつくる。例えば、漱石は『こころ』の中で、心と言うキーワードからどういう連想をつくったのか、それをみんなでマッピングしてみる。こうやって新しく連想力を広げていく方法があります。

もちろん、僕は後者を勧めたい。それによって、子供たちのもっている、ワクワクしているけれども、とりとめのない無定形な連想力に、翼やパターン、あるいは序破急や入口出口といったものをつけてあげられると思うのです。

――だんだん学校の先生たちとイシス編集学校で積み重ねてきた方法がつながってくる気がしてきました。

その先はもう少し機能的にやるために、なにかを連想したり、思索したり、ディスカッションしたりするときの、独自のフォーマットをつくるのがいいですね。

イシス編集学校では、「問」「感」「応」「答」「返」という言い方をしています。問う。感じる。それに応じて自分が何か動いてしまう。こうしたらいいなという答え。それに誰かが反応を返してくる。それを1人が全部やってしまうのです。例えば、「宮沢賢治の『かしわばやしの夜』を読んだね。それについて…」とやってみる。

今の子どもも含めて、われわれは最後の「返」のところが怖い。炎上するとか、相手にされないとか。だから、その前に「問」に対して「感」と「応」を入れて、「答」のところを緩くしてあげて、かつそれに対してどういう「返」がくるか、フォーマットで準備しておくことが有効です。

連想力を磨くスキル②冗長度を含んだ授業で正解に幅をもたせる

もう一つ、Aという問題について「これが答えだ」ではなくて、三つずつ答えるフォーマットをつくることです。大事なものを一つ挙げろではなく、たくさん挙げるのでもなく、三つ挙げる。そのくらい正解に幅を持たせるのです。連想する幅を、回答に少し残すわけです。

例えば、「キリスト教は何年に伝来したか」と問題を出せば、答えは一つです。けれども、「キリスト教が日本に伝来して起きたことを挙げよ」と問題を出し、答えを三つ挙げさせる。「よかった」とか、「今となってはわからない」とか、「なぜ音楽は来なかったのか」とか、いろいろな答えが考えられる。

そういう問題と解答によって、思考力、読解力、想像力がコンシステント(一貫したもの)にならないで、リダンダント(冗長なもの)になっていく。つまり、冗長度を含んでも構わない授業をする。これをフォーマット化して、ノウハウが蓄積されれば、最終的には点数をつけて採点できると思います。

連想力を磨くスキル③ワークショップで集合的な知をみせる

ワークショップで、何かをプロダクトさせることも大切です。

何人かグループになってあるものをつくってもらう。これを週1回でもいいから、やり続けることです。例えば、遊び場をつくるとか、部屋をつくるとか、給食の新しいメニューをつくるとか。集合的な知が何をもたらすかを見せることです。

6万冊の書籍に囲まれた編集工学研究所の本楼で、インタビューは3時間近く続いた(小森康仁撮影)

僕が工作舎時代に「編集稽古」をつくった時は、ほとんど毎晩スタッフにお題を出しては、ワークショップをやっていました。これはグループ・ディスカッションではなくて、グループ・プロダクトです。ワークショップをしながら、何かを見いだしていく。そこに今まで既存のものではないものが語れる状態をつくるのです。

「既存のものではない」とは、結局、新しい造語をつくることです。

例えば、「『あびるれろ』という五十音があったら、どうなるか」をお題にする。このお題は五木寛之なんて大乗りでした。「あびるれろって、島根県地方ぽいじゃないですか」とか、いろいろな発言が出てくる。やがて30分もすると、「あびるれろ国」とか、「あびるれろ米」というお米とか。「あびるれろおろし」という風が出てきて、「あびるれろおろしは、うねりながらくるんだ」とか、だんだんくっついてきて、それが想像力の試しになる。

ワークショップ的にグループウェアをしながら、何かプロダクトアウトしていく。アウトがとても大事です。

連想力を磨くスキル④ゲーム性を持たせ、訂正力を育む

スキルにはゲーム性が大事ですね。どんな先生もゲームコンダクターとしての自分の才能を磨くべきだと思います。

バックミンスター・フラーが晩年に提唱したワールドゲームでは、世界地図を部屋に置いて、そこに資源、油、小麦が置いてある。子どもたちは小麦が日本にあるとか、勝手に置きます。途中になって、実は小麦はここが多い、油はここだとかを書いた資料が渡され、置いたものを入れ替えます。そのときに、小麦を動かした子どもはその国の立場で話さなければならない。そこで訂正が起きる。

バックミンスター・フラーは「訂正力がクリエイティビティの半分以上を占める」と言っていますが、その訂正ができる子どもを作っていく。

こういうゲームに強くならないと駄目ですね。子どもたちはテレビゲームをやっているので、余計に先生方のスキルには独自のゲーム性がいると思います。

日本にはクリエイティビティの評価言語がない
――PDCAサイクルのように、計画をきっちりつくって、やってみて反省して、それから新しい計画をするのでは間に合わない。計画を走りながら修正し、訂正しながら物事を進めていく能力を身につけないと、日本はこれからのAI時代に…。

取り残される。いやもう、かなりやばいんじゃないですか。その訂正力を含めたものが編集力なんですよ。走りながら、動きながら、オン・ザ・ジョブで、と言ってもいい。

松岡正剛さんを囲むイシス編集学校の顔ぶれ。新連載『探究と方法』を担当する(小森康仁撮影)

先生方は先行してスキルをもたなければいけないので、自分の連想のマップをつくり、ここで急に自分の訂正力や編集力が落ちるな、と自分でわかっておくべきですね。

もうひとつ、そうした訂正力や情報の編集力、つまりクリエイティビティを制度として価値評価できないとダメです。ところが、日本にはそのために必要な評価言語がないのです。

ちょっと面白い子どもとか、はみ出た子どもとか、大胆な子どもとか、そういうものをグローバル基準に匹敵するぐらいの価値基準で評価してあげないといけない。やはり、クリエーティブな価値基準を日本独自に用意した方がいいと思いますね。

江戸時代中期には、日本人は、粋だとか、通だとか、伊達だとか、野暮だとか、ものすごくたくさん価値基準をつくっている。これは先生方だけではなくて、日本人全員が学習し直した方がいいのではないか。あの当時の価値基準は翻訳不可能なところまでいっています。それだけに、それを英語的に考えてみたりすることは、非常に価値があるし、勉強になります。

教育新聞では、松岡正剛さんが校長を務めるイシス編集学校が探究学習のヒントと情報編集のノウハウを伝える新連載『探究と方法』を近くスタートします。
【プロフィール】

松岡正剛(まつおか・せいごう) 1944年1月25日、京都生まれ。編集工学者、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。ネットワーク上に壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」を2000年から連載中。eラーニングの先駆けともなる「イシス編集学校」を創立し、編集工学にもとづくメソッドを伝授している。また、本を媒介にした数々の実験的プロジェクトを展開。「日本という方法」を提唱し、文化創発の場として精力的に私塾やサロンを主宰している。

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