子供に対しても、大人に対しても「信じて待つことが肝心」と口をそろえる新渡戸文化中学校の山本崇雄教諭と、NPO法人青春基地の石黒和己代表。「伴走する」「見守る」「信じる」学校の主語は子供たちだが、現実には一筋縄でいかないことも多い。対談の最後は、新たな学校教育の在り方を追い求める両氏に、自らの経験を振り返りながら児童生徒との向き合い方について語ってもらった。(全3回)
山本 変われない教師っているんですかね。私はいないと信じていますし、変われないことはまずあり得ないと思います。「誰でも変われる」と子供たちに言うのであれば、先生自身も「変わるのはいつでも遅くない」と示さなければいけません。オンラインやスマホに挑戦する年配の先生の話を聞くたびに素敵だなと思いますし、生徒が「先生、スマホ買ったんですか」と喜んでいる姿が目に浮かびます。
私は、特別面白い授業ができるわけではありません。「教えない授業」という手法で評価していただけていますが、あくまでその授業を主導するのは子供たちなので、私の力でなく子供たちの力です。ただ、自信があるのは「絶対にこの子は変われる」と信じ続けられるところ。「この子は無理だ」という選択肢を意図的に捨てているので、全員、100%信じられます。だから大人に対しても全く同じ気持ちで、「大人だから変われない」という選択肢はありません。
石黒 「信じて待つ」に近いですね。
山本 「変われない」という選択肢を持たなくなると、楽になりますよ。では、変わるために何が必要かというと、その子の0.1ミリの変化を見逃さないことです。大人に対してもそれは同じで、その先生が0.1ミリでも変化したのを周りが気付かなければいけません。彼らの変化を見たくてしょうがないので、私には教えている暇がないんです。
例えば、うちの学校は毎日、最後の1時間を生徒自身がデザインする自由時間にしています。一応、教科は当てはめているのですが、それにとらわれず「自分のやりたいことをデザインして、終わった後になりたい自分になれたか振り返ってみましょう」と言っています。
ある日、その授業中で、一人でただ動画を見続けている子がいました。その子をずっと観察していると、40分くらいたった時、英語のドラマを見始めたんです。そこで私はすかさず、「それは、素晴らしい勉強法だよ。それで英語ができるようになった子がいっぱいいるんだよ」と声を掛けました。そうやって生徒が少しでも興味を示したり、やる気を見せたりする時を見逃さないようにしています。
自習の時間に読書や試験の採点をする先生もいますが、個人的にはもったいないと思います。その時間こそ、子供たちをじっくり見るチャンスなんですから。
一方で、誰かが小さな変化に気付いて褒めることで自己肯定感が高くなり、変化のきっかけになるとも思っています。そして、それが教師の大切な役割だとも思います。甘やかしていると捉えられるかもしれませんが、ただ子供たちに自律してほしい、誰でも変われると気付いてほしい、誰かに見てもらえていると感じてほしいという思いだけです。だから、生徒には「絶対に伴走するからね」と伝わるようにしています。
石黒 山本先生がおっしゃる通り、「変われない先生」はいないと私も思います。ただ、「変わるのが怖い先生」は多いのではないでしょうか。自分自身が見られる範囲や決められた枠を超えてしまうと、「クラスをコントロールできなくなるのではないか」「子供の主体性を尊重しすぎると、学びに向かわなくなるのではないか」といった不安がよぎるのではないかと思います。つまり、手放すことに対しての不安や不確実性に対しての不安、そして自分自身に対しての不安とも言えるでしょう。実は私自身も、不安を感じる場面がたくさんあります。
その上で、どうすればいろいろなものを手放して不安に打ち勝てるかを考えてみると、まず「楽しむ」ことなのかなと思います。私が教育に関わっているのは、自分一人では決してできないものだからです。自分の考えを子供たちや仲間に投げ掛けると、すごく面白いものに変化したり、見たことがないものが生まれたりするのが、純粋に楽しいんです。
先生たちにもまず、1時間の授業だけでいいから、楽しむことを優先して、いろいろなものを手放してみてほしいです。そうやって小さなトライを積み重ねていくと、漠然とした怖さもなくなっていくんじゃないでしょうか。
山本 そうですね、楽しいです。ただ、手放して子供たちの変化を待つ間はつらいときもあります。参考になるか分かりませんが、私の待ち方を紹介しますね。
私の教室での立ち位置は、後ろの隅。黒板の前に立つと、どうしても対立構造になってしまうので、後ろからサポートする心づもりで見守ります。すると、不思議なことに生徒のことがよく見えるんです。「この先生は、自分たちが動かないと何もしてくれないんだ」と生徒が気付くまで、口出しするのは我慢した方がいいですね。教え子の中には、1年くらい見守って火がついた子もいます。
とある進学校の先生の事例を聞いて驚きました。数学が苦手で中学の3年間、授業中に寝ていた生徒が、高校生になって大学の数学に触れた途端、一気に火がついたそうです。その生徒はあっという間にそれまでの遅れを取り戻して、数学の学会で発表するまでになったと聞きました。誰かにやらされてするよりも、自らに火がついたときのエネルギーの方が強いのだと改めて思いました。もちろん、全ての子供がそうとは限りませんが、そんな事例を聞けば聞くほど、「待つ」ことが大切に思えてきます。
山本 私は「褒める」の一択です。著書の『「教えない授業」の始め方』でも触れましたが、私には忘れられない手紙があります。小学校の教員である妻の同僚の方からいただいたものです。彼女から届く年賀状には毎年、元気な息子さんの写真が載っていました。ただある時、本当に残念なことに、その息子さんが交通事故で亡くなってしまったんです。葬儀が終わってからお手紙が届いたのですが、そこには「息子をもっと褒めてあげればよかった」と書かれていました。
今回のコロナや東日本大震災もそうですが、もし、この子に掛けられる言葉が、今日が最後だとしたらと考えます。そうだとしたら、褒めるしかありませんよね。子供の変化に気付いたとき、迷ったら必ず褒めます。ただ、私自身はそういう経験から「褒める」を選択しますが、違う選択をする先生を否定するわけではありません。
石黒 褒めるとは少し違う視点ですが、私の場合、ジャッジメントをしないようにしています。例えば、授業中に居眠りしている生徒がいた場合、「やる気のない生徒」と見るでしょう。でも、明日には意欲的に取り組んでいるかもしれないし、今日は体調が悪いだけかもしれない。とにかくその一瞬の姿だけ見て、子供の全てを決め付けないことが大切だと思います。人は多面的な生き物ですし、こちらが「この子は〇〇」と決め付けることはしないようにしています。
山本 それから「できないことは悪いことじゃない」「いつだってできるようになれる」と言い続けてほしいですね。教師の役割は、子供たちが一歩を踏み出す姿を見守ってあげること。そして、時に手段を一緒に考えてあげて、伴走しながらその力を引き出してあげることに尽きます。
英国の教育アドバイザーであるケン・ロビンソン氏が生前言っていたように、教育はオーガニックのガーデニングのようなものです。種を植えた後が一番ワクワクするけれど、芽はなかなか出ません。そこで刺激や怪しい肥料を与えたらだめで、必要なものを与えて待つことしかできないわけです。そして、待てば待つほど力強く育っていきます。
石黒 話したいことと山本先生に聞きたいことがたくさんあって、あっという間に過ぎました。
私は授業する上で、子供たちがどんな自分になりたいかという「Will」を大切にしています。自分視点の「Will」を引き出すところから学びを始めていくと、だんだんと社会につながっていくように思います。そして、子供も大人も誰しもが「Will」を持っています。ただゆっくりしか出てこない子供もいれば、「今じゃない」と隠している子供もいるのです。「全ての人が持っているけど、あなたのタイミングで見せてくれたらいいよ」というスタンスで、信じて待つことが、私たち大人の役割だと思います。
今日の私や山本先生の話の中で「むずむずするから、もうちょっと考えたいな」という部分もあったと思います。ぜひ皆さん自身で考えてもらって、どこかでお会いするときにその続きを聞かせてもらえることができたら、とてもうれしいです。
山本 石黒さんと話して、子供たちの幸せをつくり出すために尽力している人がいろんなところにいるのだと、とても励みになりました。
学校全体を変えるのは難しいかもしれませんが、明日の授業は変えることができます。子供のことを手放してみよう、信じてみようという先生方一人一人の変化が、新たな選択肢を生むことにつながっていくのではないでしょうか。そして、その選択肢は正解が一つではないことを忘れないでください。そう考えれば、組織の中の対立も生まれないのではないでしょうか。
私は今、新渡戸文化学園でチーム一丸となって、学校教育の新たな選択肢をつくろうと動いています。偏差値という一つのスケールだけで子供を判断しない、新しい選択肢を生み出す挑戦です。私たちの取り組みについてぜひ知っていただきたいですし、また別の機会にどこかで皆さんと対話できればいいなと思っています。
山本崇雄(やまもと・たかお) 新渡戸文化中学校統括校長補佐。都立両国高校附属中、都立武蔵高校附属中で自律型学習者を育てる「教えない授業」を実践。新しい教育の在り方を提案する「未来教育デザインConfeito」の設立にも携わる。著書に『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』(日経BP)など多数。
石黒和己(いしぐろ・わこ) 1994年、愛知県生まれ。2015年、学部時代に青春基地を創設。中高時代にシュタイナー教育という教科書も試験もない自由な教育を受けたことを原点に、公教育の学校改革を通じて、未来の学校づくりに取り組んでいる。17年に慶應義塾大学総合政策学部卒業、20年に東京大学教育研究科修士号取得。