義務標準法が定める教員定数の算定方法に、受け持ち授業数(持ちコマ数)の上限設定という発想を組み込むにはどうすればいいのか。「現行の枠組みを大きく変えることなく実現できる」と訴えているのが、元小学校教員で「ゆとりある教育を求め全国の教育条件を調べる会」の事務局長を務める山﨑洋介さんだ。その上で鍵を握るのは、同法が規定する「乗ずる数」の改善だという。現在は大阪大大学院で教員定数について研究している山﨑さんに、「乗ずる数」が持つ意味について解説してもらった。
――「乗ずる数」というのは耳慣れない言葉です。どういったものでしょうか。
日本の教員配置は学級を算定根拠にしており、1学級に最低1人の先生があてがわれる仕組みになっています。しかし、これだけでは先生が足りません。学級と同じ数の教員しかいないとなれば、先生たちは朝から夕方までずっと授業をしないといけないことになり、それ以外の仕事をする時間を作れません。また、小学校の場合、学級担任を受け持たず、音楽や図画工作といった特定の教科指導に専念する先生なども置くことができません。こうした事態にならないよう、義務標準法は教員定数を計算する際、学級数に1.13以上の係数を乗じ、学級数を上回る教員を配置する仕組みを採用しています。この係数が「乗ずる数」です。
「乗ずる数」は校種や学校規模によって異なり、「10~11学級の小学校は1.234」「36学級以上の中学校は1.483」といったように、細かく定められています。全学年が1学級ずつで計6学級の小学校を例に考えてみましょう。「乗ずる数」は1.292と決められています。計算すると「6×1.292≒7.75」。つまり、6学級の小学校には7.75人くらいの教員が必要であると見なし、国はその分の人件費を確保する義務を負います。校長や養護教諭などはこの計算には含まれず、別枠で配置されることになります。
――なぜ「乗ずる数」の改善が必要なのでしょう。
いまの公立小中学校の先生は十分な準備や研究もできないまま授業や指導に追われ、子どもたちが学校にいる間はそれ以外の仕事をする時間が確保しづらくなっています。これが長時間労働や持ち帰り残業を強いられている大きな原因です。抜本的な負担軽減を進めようと思えば、授業の受け持ち時間を減らし、子どもたちから離れて仕事ができる時間を作らなければなりません。そのためには学級数を上回る教員を増やす、つまり「乗ずる数」を引き上げることが必要なのです。
1958年に義務標準法が制定された後、「乗ずる数」は小幅ながら引き上げられてきました。しかし、93年の改定を最後に、現在に至るまで30年間にわたって足踏み状態が続いています。この間に社会情勢は大きく変化し、教員に求められる役割が増えたにもかかわらず、「乗ずる数」を改めなかったことが、教員の労働を過密化させる一因となりました。教員を増やすための試みとして、近年は自治体主導の「少人数学級」も進んできましたが、残念ながら労働条件の改善にはあまりつながらず、むしろ悪化させた面もあると考えています。
――「少人数学級」が労働条件を悪化させたとはどういう意味ですか。
「少人数学級」は行き届いた教育を実現し、子どもたちに豊かな学びをもたらします。教員の負担軽減にも一定程度つながると思います。ただし、こうした効果を上げるには、学級数の増加に見合った人件費が確保され、正規教員が配置されることが条件となります。
地方自治体の判断による弾力的な学級編制が認められるようになった2000年代以降、国の標準を下回る「30人学級」などの政策を打ち出す動きが相次ぎました。しかし、国からの予算措置がなく、自治体が自力で人件費を工面しなければならなかったため、財政負担を抑えようと、本来は正規教員を配置すべきところを非正規教員に置き換えたり、元々は音楽や図工などの実技教科を教えるために配置されていた先生に学級担任も持たせたりする事態が起きました。非正規教員に責任の大きい仕事を任せるわけにはいかないため、その比率が上がれば、正規教員が担わなければならない業務が増えてしまいます。また、学級が増えれば授業数も増加しますが、その分の教員の補充がなければ、1人当たりの持ちコマ数は増えてしまいます。良かれと思って推し進めた「少人数学級」が、結果的に教員の負担増を招いた側面があるのです。
「少人数学級」は財政当局を除けば、誰もが反対しづらい政策です。教育行政に携わる人たちや多くの政党、教職員組合に支持されてきました。ただ、良い部分が強調され過ぎた結果、その陰にある教員の負担に対する配慮がおろそかになってしまったことは否めません。
――「乗ずる数」を改善するとして、どのくらいの引き上げが必要だと考えますか。
文科省に現在の「乗ずる数」の詳しい算定根拠を尋ねたのですが、はっきりしたことは分かりませんでした。ただ、単純に逆算すると、小学校の教員は平均で週24コマ、中学校の教員は週18コマの授業を担当するという制度設計になっていると推察されます。仮にそうだとすれば、小学校については、1958年や63年に「乗ずる数」を定めた際の算定根拠からあまり変わっていません。一方、当時と比べて学校の先生の仕事は格段に増えました。子どもたちの安全への配慮、特別なケアが必要な児童生徒への対応、いじめに対する目配りなどです。また、週休2日制が導入され、以前は6日間で実施していた授業を5日間でやり切らなければならなくなりました。それなのに60年前と変わらない水準の授業数を持たされてしまっては、教員がパンクしてしまいます。
現在の教員たちが置かれた環境に照らした適正な持ちコマ数については、意見が分かれるところかと思いますが、少なくとも小学校で週20コマ、中学校で週15コマくらいまで改善する必要があるのではないでしょうか。そうすれば、小学校で1日2コマ程度、中学校で3コマ程度の「空き時間(コマ)」を作り出すことができます。これを実現しようと思えば、「乗ずる数」を現在より2割ほど引き上げなければならず、約10万人の教員増が必要です。人件費に換算すれば、年間で約6300億円の追加支出によって実現できます。
数字だけ聞くと非現実的に思えるかもしれませんが、これは必要な経費です。給特法を廃止して教員の残業代を全額支給することになった場合、約9000億円の追加予算が必要になるという試算があったと思います。いずれも、必要な教育予算を支出してこなかった政府の不作為により、教員の長時間過密労働やボランティア労働という犠牲の上に教育活動を成り立たせてきた事実を示すものだと私は考えます。
――中教審で「働き方改革」の議論が始まりました。
現在の「働き方改革」の議論は、自助努力による業務改善が議論の中心になっており、教員の勤務時間の中に、業務として必要な「空き時間」を確保するという視点が弱いことが問題です。子どもたちが興味を持つような面白い授業をするには、一定程度の準備時間が必要です。また、教員が勉強したり、研修を受けたりして、成長していくための時間も業務として保障されなければなりません。これらの業務がオーバーフローして勤務時間をはるかに超えてしまっている現状に鑑みると、自助努力による業務改善には限界があります。ですから、持ちコマ数を制限して「空き時間」を作り出すという発想が必要なのです。
私が強調したいのは、「乗ずる数」を改善することで、こうした「空き時間」の確保という考え方を法体系に組み込むことが可能だということです。「働き方改革」の論点の一つとなることを強く願っています。