この連載の第1回で、民俗学者の大石泰夫の言葉を引用しました。 「魅力ある民俗芸能は人々に『自分たちも演じたい』という欲求を喚起する」 これには続きがあります。
私はクラス全体の英語の知識や技能が高まっているかどうかに、あまり関心を持たないタイプの英語教師です。一人一人の成長や変化には興味を持てますが、クラス全体で足並みがそろっているかはほとんど見ません。だからこそ、これまでの連載で書いてきたエピソードも教室の中の数少ない生徒や学生に焦点を当てた、小さな出来事が多かった気がします。
見取りのチャンスは日常の何げない場面にたくさん転がっているものですが、教師の側から見取りの「ねらい」を定めることもできます。
以前、私が担当する大学1年生の英語の授業に、アシスタントとして参加してくれた3人の教職課程の学生がいました。3人の学生による見取りは三者三様でした。
今回は、小学4年生のクラスで見取りのトレーニングを積んだ大学生たちのエピソードを幾つかご紹介します。 教師は一度に数十人の児童生徒と関わります。丁寧な見取りをしようにも、一人の「気になる子」をずっと見ていられる仕事ではありません。
「今日は元気ないね」 「うん。でも大丈夫」 「大丈夫って?」 「今、ママのこと考える時間。元気ないけど、大丈夫」
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